原稿を読んでいて、著者が書いた表現について赤字を入れたくなるときに気をつけていることは、「その人が語る言葉」「その人が語りそうな言葉」かどうかということ。

このことは、やり始めると結構難しいことがわかる。つい自分にとって馴染みのある言葉を使いがちなのだけど、その言葉は書いた人にとってしっくりくるかどうかはわからない。特に複数の原稿が同時進行していると、余計同じ言葉を使いたくなったりする。もちろん同じ言葉を使うことがあっていいのだけれど、ただ、その人がしゃべっている様子を頭に浮かべながら、よく原稿を読んでいると、「この言葉は、あの著者はあまりつかわないな」と思うこともある。長いお付き合いの人たちばかりだからわかる気がする。

編集者が「原稿整理」をして入稿して、初校が上がってきたときに、著者がややネガティブな意味合いで意外と思うことがある。「言いたいのはそういうことじゃないんだけどな」「これでは言いたいことのポイントがずれて理解される」などなど。こういうことにきちんと向き合わないといけない(余談だけど自分もかつてよく使っていた「原稿整理」って失礼な言い方だな、と。このブログでもどこかで書いたけど「はみ出し」とかも)。

言うまでもなく原稿を読んだときのその意外性はポジティブなものでなければならない。「こういう言葉を使えば、自分の言いたいことがより明確につたわるのか」とか「この言葉を使えば、長い説明がいらなくなるのか」とか「こういう順番で書けばたしかにわかりやすそう」とかの感想を持ってもらえることが求められていると思う。著者にスッキリ感を持ってもらうことが必要だ。

どういう言葉を使いそうか、使わなそうか、は、その人との対話量の総量で養われる。著者との口頭による会話の量もそうだけど、原稿との対話もそうだ。簡単に言えば、この人はどういう言葉を使っているのかを意識しつつ、たくさん話しをして、何度も読めば、その人が使いそうな言葉は見えてくる。その人が使う言葉(使いそうな言葉)を使って本を作るのは、当然のことだと思うけれど、自分も含め、編集者の言葉でリライトするケースも少なくないのではないかと思う。リライト後に編集者はスッキリ、著者がモヤモヤでは意味がない。そういう言葉で表現された本は自分の本とはなかなか思ってもらいにくい(同じようなことは、タイトル決めのときにも起こるのだけど、ここでは触れない)。

著者のスッキリ感を持ってもらうことが、著者を受け入れることだし、著者と向き合うことだし、同時に、自分の仕事や自分自身と向き合うことだと思っている。その人が持っていない言葉だけど、言いそうな言葉の発見は難しくも楽しい。

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