東京・田園調布の小さな出版社/出版プロデュース(有限会社ソーシャルキャピタル)

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会社名 有限会社ソーシャルキャピタル Facebookページ
代表 吉田秀次(よしだひでつぐ)FacebookInstagram
所在地 145-0071 東京都大田区田園調布1-55-16浅間ビル203
E-Mail staff[a]socialcapital.co.jp([a]を@に変換してお送りください)
連絡先 Tel:03-6459-7115
業務内容 書籍出版
編集・執筆
出版コンサルティング
卓球事業ほか

吉田秀次

【 吉田秀次プロフィール 】
出版社3社にて編集者として勤務したのち2011年に独立。フリーランスの編集者・ライター、大学講師、出版プロデューサーなどを経て、地元田園調布で出版業を始める。趣味は、トレイルラン、滝行。

【 学歴 】
法政大学文学部哲学科卒業
法政大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了
英国University of Leicester修士課程修了(Media&Communication専攻)

【 教員歴 】
・青山学院大学社会情報学部(2012年〜)、理工学部(2013年)
・明治大学情報コミュニケーション学部「メディア方法論」(2013年5月14日)
・法政大学英語強化プログラム(2013年)
・東京農業大学応用生物科学部(2000年〜2004年)

出版関係職歴

株式会社アルク

月刊英語学習誌と通信教材を編集。ネイティブに囲まれて、勉強させてもらった。英語力がついたと実感。3年弱で退社。

あてもなく辞めてフリーランス編集者・大学講師に

あまりあてもなく会社を辞めたが、突然「大学講師をしませんか」との話が舞い込み、翌年4月から大学の英語の非常勤講師として勤務を始める。大学の授業は学びが多く、楽しかったし、私を大学に誘ってくれた先生にはよくしていただいた。

編集業務は、あるフリーライターの人と仲良くさせていただき、その人の本を作ることが多かった。ビジネス書や英語教材がメイン。

英語を教えていたら、なんとなく自分も英語を勉強したくなり、1年間アメリカ・ワシントンDCに滞在。その前の年に結婚していたので、一緒に行くことに。アメリカ人の生活観にも大きな刺激を受ける。

再び大学講師に。そして起業

アメリカにいるときに、前にいた大学の先生から戻ってきてほしいと言われ、また戻ることに。と、同時に東京・用賀に事務所をかまえ、編集業務と英語教室を展開し始めた。

英語教室は予想外(?)に順調だった。編集業務は英語モノが中心。ただ大学には週4日行くこともあり、両立が難しかった。

ジャパンタイムズに転職

アメリカに行き、新聞で英語を学び、英語教材として英字新聞に興味をもっていたところ、ジャパンタイムズの知人から声をかけられる。激しく悩んだ末に転職。100年以上の歴史のある会社。ジャパンタイムズ本紙の英文を使ったニュース英語教材『The Japan Times News Digest』を企画・編集。隔月刊の発行で現在も刊行中。さらに広告局とコラボレーションして『通訳・翻訳キャリアガイド』を発行。社長賞を受賞。

またまた転職。今度は日本経済新聞出版社に。

ジャパンタイムズに2年勤務したあと、知人に声をかけられて日本経済新聞出版社に転職。教育事業部に配属。英語モノ、ビジネス書のほか『うかる!』と名前がついている資格試験のタイトルなどが、マーケットに受け入れられ、毎年、年間利益賞を獲得。ほかにも月間MVP、経営企画賞とか、いろいろもらった記憶がある。一緒にやっていたメンバーに恵まれる。

働きながら大学院進学

英国大学院のDistance Learning(通信教育課程)でメディアコミュニケーションを勉強することに。それを学ぶことによる将来像はあまり描けなかったが、なんとなく自己投資をしたかった。専攻は英語教育にしようかと一瞬迷ったが、あまり興味を持てないことがわかりやめる。

英国の大学院に決める前、日本の大学のMBAを数校受験。合格した大学があったが(不合格もあったけど)、面接時の教員の態度があまりにも横柄で、すっかり学ぶ気をなくし、入学は辞退。

英語教育に興味を持っていたころ、TOEFLを勉強するために、週末スクールに通う。学費は高かったが、講師はプロだった。そのおかげで3回の受験で、目標点を到達していたので、わりとすんなり、大学院に入ることができた。

ただ英国大学院の勉強はきつかった。週末と平日夜は、ほとんど勉強していた感じ。会社にはそのことを伝えていなかったこともあり、勉強は孤独そのものだったが、家族の協力もあり、進めることができた。コース修了するちょっと前にFACEBOOK上にある学生たちのコミュニティーの存在を知る。もっと早く知っておきたかった。

退社の決意

あまりにも多くの仕事を抱え込むようになる。体調不良になりながらも会社にいる人をみて、ゾッとする。同年義父がガンで急逝したことや、知人が自殺したことなどが重なり、自分の将来を考えさせられる日々が続く。上司の異動なども重なり、環境が悪化したことで退職を決意。当時の上司からの引き止め工作には閉口し、体力を猛烈に消耗した。

退職後、論文だけ残っていた大学院の勉強を終わらせて、めでたく修了。数年前、イギリスの大学に行き、先生と面会をしたときに、「このプログラムで日本人はあなただけだと思う」と言われた(MBAは数名いたと思うが)。自分でも目標を持たずによくやれたと思うが、これが大学講師採用の際のポイントとなった。世の中本当にどうなるかわからない。

再びフリーランスとして、大学講師として

退職後、ある会社に新しいシリーズを作りたいと言われ、その会社と仕事をすることに。新シリーズは業界初といわれる内容を含んでいたため、かなり難航したが、著者にも恵まれ、いいシリーズを完成することができた。出版プロデューサーとして2年在籍。

さらに会社を辞めた直後に、著者でもあった大学の先生から誘ってもらって、大学講師として働きはじめた。その先生からは本当にいろいろなことを学んだ。

ひとり社長として、雇われない生き方・雇わない生き方を実践中

大学と編集作業との両立が困難になった時に、必然的に「チームで編集する」ことになる。現在は、時間の大切さや第2領域の重要さを実感しながら、大学・編集業務ともに活動中。編集作業は、情報共有とチームビルディングを重視して、チームで編集を心がけると同時に、コンサルティング業務も始める。大学講師は2015年3月で終了にする。

ひとり出版社としてリスタート

2014年ぐらいから、今までとはまったく違ったフィールドで活躍している人との出会いがあり、ビジネスを再構築。自分が出したい出版物は自分で出版しなければならないことを実感する。いわゆる商業出版の「規格」にはまらない「企画」で、著者にとっての意味のある書籍にすることを最優先にするのがポリシー。「消費される著者」を減らしたい想いで、地元の東京・田園調布で出版業を始める。

Tamagawa Base(多摩川ベース)という卓球場

2018年秋に多摩川ベースという卓球場をオープンさせた。リオ五輪で使用されたinfinityという台があるのだけど、そのinfinityを1台だけ配置した完全個室のプライベートスタジオだ。床面には無垢材を使用、壁面の塗装も自然素材と、こだわった。完成までには多くの苦労があったけれど、台貸しのほか、トップコーチのレッスン場として使用してもらっている。卓球経験者ではないスタジオは珍しい。卓球に関わる人たちをハッピーにしたい、との思いで、出会いの場、コミュニケーションの場としてコーチだけでなく卓球愛好家に利用してもらっている。2020年秋には、2階のサブスタジオもオープン。マイクロデベロップメント経営実践中。

マイクロデベロップメント経営とは

複数の小規模事業を組み合わせて楽しさと経営を両立させる手法(自らが命名)。コロナ禍においては、複業でリスクを分散させることが必須との認識を得て、現在は出版社経営・卓球場運営・クルマ業などを手がける。あとは不動産や別事業も少々。とにかくやりたいことよりも誰とやりたいかを重視。コミュニケーション力を培い仕事での楽しさを追求。

(2014.4.1記)(2017.1.2追記)(2021.3.21追記)

お気軽にお問い合わせ下さい TEL 03-6459-7115 (平日10:00〜18:00)

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