だれが言うか、何が言われているか。どちらが大事なのか。

一般的もそうだし、哲学を勉強していたときもそうだったけれど、何が言われているかが大事だと教わるし、それは間違っていないと思っている。その人の属性や身分から切り離して、純粋に言われていることを考えよ、ということだろう。

でも最近は、これって本当にそうなのかと思っている。言われていることをそれを言った人の関係はかなり深いのではないか。言われたことは誰が言ったかの関係において理解すべきこともあるとも思っている。たぶんどっちも大事なのだろうけれど。

そんなことを考えていたら、先日打ち合わせをした人が大きなヒントをくれた。「なぜ、吉田さんは著者のストーリーとか、誰が言っているのか、をそんなに大事にするのですか」と。そのときはうまく答えられなかったのだけど、その問いをランニング中に考えていたら、ふと、著者に半生を語ってもらうことで、救われる人がいると思っているからなのか?という考えがよぎった。こう思っているのは間違いないし、もっと言うと、救われる人は多ければ多いほどいいとも思っていない。ちょっと救われた人より、とっても救われた人がいるほうが大事だと思っている。最近、勉強会で読んでいる『7つに習慣』に自分の葬式をイメージさせる部分があるけれど、その文脈で語れば、多くの人に参列してもらうより、自分がいなくなったことでとっても残念がってくれる人がいることを自分が望んでことに気づく。

そういう関係性を作るために、自分自身に向き合っている人の半生を語る意味はあるし、どんな経験にも意味があると自分は思っているのだと。「投げ出さない」とか「あきらめない」とか「主体的」という最近の自分自身のキーワードとも密接につながっている。かつての自分はその真逆だった。投げ出していたし、あきらめていたし、反応的…。

だから今、書いてもらうことに対する気持ちは「あなたの人生を晒していてだいて、ひとりでも多くの人を救いたい。だから書いていたいだけませんか?」と言うことだ。書籍でなくてもいい。書くということに向かってほしいと思う。だから誰が言うのかはとっても大事ことなのだ。

その問いを投げかけてくれた人は、とっても自分のことを理解してくれている気持ち。なんか、とってもすごい人。

~書籍情報・西荻窪の玄米菜食のお店「米の子」亭主が語る素材と感謝 亭主啓白~

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