人が持っているモノを棚卸しをして、コンセプトを決めて、それに基づいて絞って、世に出す、のようなことをやっているのだけど、スッキリ行くケースとそうでないケースがある。

専門分野はそれまでに知識を習得し続け、一般人ではわからない細かなところまで、知識量や経験を増やした領域のことと仮定してみる。一般人の質問に応えられるから専門家と認識される。端的に深く応えられると「とっても専門家」だし、60点ぐらいの回答だと「そこそこの専門家」と呼べばいいのか。こういう人たちもたくさんいる。どうやったら「そこそこ専門家」から「とっても専門家」になれるのだろうか、ということを考えると、それは知識の捨て方にあるのではないかと思っている。

知識は多いほどよいのだけど、知識の習得過程を考えると、どこかで飽和状態になる(と感じる)ときがある。慢心といってもいいかもしれない。いや、本人だってそういう状況に満足していないかもしれない。けれど好奇心は減退している。常に貪欲でいられることは難しいことのように思える。自分のことを振り返ってもそうだ。飽和状態になると、好奇心もなくなり、その知識を使って体験を増やそうという気持ちも弱くなる。仕事もそうだし、趣味でさえそういうことが起こり得る(仕事にやる気がなくなるオッサンの状態はこういうことなのかなとも思ったりする)。

そうならないためには「高い目標を持ち、現実とのギャップを感じ、常に謙虚であること」と考えるのがふつうだけど、いくらそう思おうと思ったところで前向きになれないときがある。『思考の整理学』に収穫逓減の法則のことが書いてあるけれど、農作物を作るときに、そこに投じられる資本と労力と生産高がどこかで比例関係にならなくなるときがくることを示している(記憶によると)。どこかで生産高に限界がくるのだ。これと近いのかなと思う。

そういうときこそ、何かを捨てることが必要な気がする。何を捨てるか、何を残すかは自分との対話だし、とっても難しいことなのだけれど、絞れば絞るほど深さが見えてくる。絞れば絞るほど「とっても専門家」であることの自負はなくなっていく。これこそが、資本と労力を持ち続けることの秘訣なのではないかと思っている。うまく手放すことができればのめりこめる。こういう気持ちも執筆のテーマ設定とか執筆中の心得としても大事なのではないかと思う。

~新刊情報・西荻窪の玄米菜食のお店「米の子」亭主が語る素材と感謝 亭主啓白~

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