『暮しの手帖』の初代編集長だった花森安治さんの展示会へ行ってきた。ずっと行こうと思っていたのだけど、伸び伸びに。明日で展示会は終了ということもあり、結構混んでた。

花森さんは編集長なのだけど、実際にやったことは本作りに関わることすべて。ページの企画を考えることはもちろん、徹底的にわかりやすい文章にこだわるし、装丁も手がけるし、挿画も描くし、校正もやるし、中吊り広告のデザインも徹底的にチェックするし。こういう姿をみると、今の編集者の仕事はずいぶん細分化されていることがわかる。自分でやればすべて自分の思うように作れる。デザイナーの意向を聞くとか、イラストレーターのタッチに注文つけるとかもない。自分ができることを全部やったらこういう雑誌になった、ということなのだと思う。

バックナンバーが75冊分展示されていたけれど、題字が(ほぼ)毎号違っているのには驚いた。タイトルロゴといった定形のモノは存在しない。毎回ベストなバランスを決めるということだ。しかも、表紙は題字とイラストのみ。今のような読者をひきつける(あおる?)文言はない。構成要素が少なければならないほど、感性が問われるような気がする。ほかには、暮しの手帖の編集長の前の仕事がわかってかなり興味深かった。実はこっちのストーリーのほうが長い。

こういう仕事を見て、帰りに走りながら思うことは、仕事の余韻だ。館内の売店はかなり混み合っていて、花森さんの書籍とかポストカードやグッズを多くの人が求めていたのは、花森さんの手仕事にどこかで触れていたいとか忘れてはいけない、という気持ちからだと思う。自分もそういう思いで『花森安治の仕事〜デザインする手、編集長の眼』を買ってきた。この図録も気が遠くなるほど細かい仕事だ。

仕事の余韻は、自分の言葉で言えば、不整形の仕事から生じる。あの雑誌は花森さんでしかやれなかった。あの当時の生活を取り巻くモノのあるがままを雑誌というカタチで世に出すために必要な仕事に余韻を感じたのだ。そう考えると、我々がやるべきは、手元においておきたいと思ってもらえる仕事をすべし、ということなのだ。売店の活況ぶりからそう確信する。

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