1冊の本がある。祖父が亡くなる前の1997年に自費で出した本だ。祖父は、数学が大好きで数学科に行きたかったけれど、そこまで得意ではなかったので、高校の先生の勧めで、大学は造船に進んだ、ということを聞かされていた。このこともこの本のまえがきに書かれている。

私は小学生の頃より、数学(算術)に興味をもっていたが、進学に伴って高等数学には葉が立たず、断念して進路を工学方面に選び、大学定年後にこの数学への思いが断ち切れず、再び従来の入りやすい幾何に没頭し、その解放を解析幾何(座標幾何)に求めて解こうと試みたのが本書である。

専門分野では著書も書いていたが、専門外ではそんな本を出してくれるところは見つからず、自費で出したのだと思う。でもどうしてもやりたかったことなのだ。

祖父の執筆当時の姿が記憶にあるけれど、会う時は常にペンをもち紙に数式を書いていた。ときにはチラシの裏に書いていることも。白紙にどんどん数式を書いていく様は、自分にはまったく理解できなかった。問題があるから計算することがあると思っていたので、問題がないのになぜ数式が書けるのかと。親戚の集まりがあってもひとり黙々と紙に向かっていたことを思い出す。自分はなんかそんな姿をカッコいいと思っていたのだと思う。分野は違うけれど、その祖父から大きな影響を受けている。

ある日、祖父が家に遊びにきて、「数学の教科書をもってこい」と言われたので、当時使っていた教科書を差し出した。自分が高校1〜2年のころだったと思う。自分の数学の成績はほぼ最低で、赤点の連続だった。「こんなわかりやすく書いてあるのに、なんでわからないかな」とぼやいていたことも思い出す。なんか申し訳ない気持ちになりながらも数学から逃げまくっていた。我ながら、なんで自分はこんなに出来ないのかなと思ったり。親も兄も理系なのに。さらに当時の教育テレビの高校数学の番組を見て、その講師がわかりやすく説明することにひどく感心していたことも記憶に残っている。

わかりやすさと専門性はつねに隣り合わせだと思う。専門用語をこねくりわます人はだいたいわかっていない。高い専門性をわかりやすく説明することは容易いことなのではないのだ。平たい内容をわかりやすく伝えるのに苦心するのとは次元が違う。そこには技が凝縮されている。祖父は門外漢だったからこそ、そこを目指したのではないかと。勝手に想像しているのだけれど、まったく的外れかもしれない。

ただ言えることは、この本があることで祖父への思いを巡らすことができる。この本に書いてあることは1行も理解できないけれど、自分が最後までとっておく1冊になることは間違いない。究極の1冊だなと思う。この本を作った費用を親から聞いているが、退職した身ではそんなに簡単に出せる金額ではないと思うし、祖母の理解もなかなか得られなかったと聞いている。ただ遺してもらったおかげで我々親戚にとっては大事な1冊になっているのだ。今やっている仕事は、こういう本を遺すことなのかもしれないと思うと、より気を引き締めなければと思うのだ。

※昨日この祖父の長男(自分にとっては伯父)と偶然あるところでばったり会った。かなり久しぶり。この伯父も工学の大学の先生だったけれど、祖父は伯父には絶対に数学を教えなかった、とかつて母から聞いたことを急に思い出した。厳しい祖父だったらしい。話しながら急にそんなことを思い出し、帰り道にこの本のことが蘇ってきた。なんか不思議な1日。

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