本を読むときに、これを書いた人はどれだけの時間がかかったのだろうか、と考えることがよくある。ここでの時間は、執筆時間という意味ではなく、書くための材料を得るための時間、という意味だ。1年なのか、3年なのか、10年なのか、はたまた3ヶ月なのか、10日なのか。厳密に計れるわけではないけれど、なんとなく著者の経歴というべきものが感じられる本とそうでない本がある。どちらがいいとか悪いとか言うわけではないけれど、自分はやっぱり前者が好きなんだと思う。

本には人の年輪が表現されている。履歴といってもいいかもしれない。携帯の発信履歴も、カーナビの履歴も、Amazonでの購入履歴も、その人の年輪の一部だ。履歴から、なぜそこに電話をしたのか?なぜそこに車で行ったのか?なぜその本を買ったのか?を考えることは、時間が経てば、結構おもしろかったりする。もっと言うと、何をどこで学んだのかということは、意外と自覚していないケースも多い。そんなの自覚していなくたって、今があれば問題ない、という世界でもある。だからこそ、そういう意識をもったらおもしろいと思うのだ。

時間がたてばおもしろい、というものの代表は、日記かもしれない。ひとに読まれないことを前提とした日記は、時間が経ってから読み返すとかなり面白い。書いているときはさほどでもないけれど…。卒業アルバムなんかもそういった類のものなんだと思う。時系列を表す言葉が入っていなくても履歴を感じる。

本作りで著者の履歴を出すことは楽しい、と最近思う。そこに重みが感じられるとなんか得した気分になったりもする。頭で考えたことではなく、実際にそのとき、そのとき考えたことの集積には重みがあるのだ。そういうものの本の形態はやっぱり紙だと思う。ページをめくっていくうちに、右側が重くなっていく感じが人の履歴を感じさせる。

※クライアント参照用

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