昨年の6月に編集の仕事をやめようと思ったことがあった。激しく優秀な編集者と出会い、自分の実力に自信をなくし、しかも、そのときやっていた仕事は知的作業とは到底いえない、超急ぎの仕事。1日にバイク便が何度もやってくるなか、落ち着いて原稿を読む時間などなく、やっていたことは、3種類ぐらいのゲラの赤字を集約する単なる「赤字転記マシーン」だった。そのときにやっていた仕事をすべてとばして、この仕事にとりかかった。1ヶ月にゲラを3回転ぐらいさせ、関係者みながヘトヘトになった。その仕事が終わった数日後、担当編集者から聞かされたことは「あの本、決定的なミスがあって、実は刷り直ししまして…発売日遅らせたんですよ」。申し訳無さそうに伝える彼をとても申し訳なく思った。達成感ないところか、虚無感すら感じる仕事。思ったことは、「こんな仕事やっていてはいけない。そもそもこんなポジションにいることがいけないし…。フリーランスの編集の仕事、廃業しようかな…」。とはいえ、次に何をするか考えられるわけもなく…。

 

翌月にメンターとなる人と出会った。何気なく目にしたFacebook広告をみたのがキッカケだった。初めて会った時に、今まで会ったことのない人種だと感じ、思ったことは単純に「この人、なんかすごそう」。その人にお世話になることになった。あれから1年。その人からいろいろなことに学び、叱られ、凹み、新たに自覚した自分の過去にも衝撃を受けたけれど、すべてが新鮮だった。出版プロデューサーとして生きる道を与えてくれたのはその人だったし、自分の実績や性格から、「ロングセラープロデューサー」という肩書を提案された。最初はまったく馴染めなかったけれど、今は抵抗はない。むしろ、名刺を渡す際に、多くの人が反応するので、自分のことを説明する、いいキッカケと思っている。

 

本を出したい人と出版社をつなぐ、という説明は薄いけれど、平たくいうとそういうことだ。でも自分がやってきたことをいま一度振り返ると、常に考えていたのは、その人にしか書けないことを書いてほしい、ということだった。自分の人生の中で、ストックとなる本を書いてほしいと思っていたことに気づいたし、思い返せば、出版社にいるときから、初著書を手がけることに意味を感じていた。

 

ただ、自分が書きたいことを書いては売れない。書きたいものと売れるものが交差する点を見つけるのが自分の仕事だと思っている。その役割を意識して以来、売れている本はまったく興味のない分野でもはあえて手に取るようになった。売れる本には理由がある。「有名な著者だから」「タイミングがよかったから」「メディアに取り上げられたから」「営業力が強い会社だから」と言っていては始まらない。カバーの色とかキャッチコピーはもちろん、図解の仕方とかイラストのタッチとか、書体とか見出しの入れ方とか1ページに入る文字数とか余白もやたらと気になりだした。

 

少人数のクライアントと一緒にそんなことも議論しながらコンサルを繰り返していたら、次の商品のカタチ(=塾)が見えてきた。本を書きたい人をどう導けばよいかもだんたんわかってきたし、自分の目線で、本が書ける人とそうでない人の区別もつくようになってきた。その感覚をもっと研ぎ澄ませたいと思う。

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今度立ち上げるのは、「出版実現塾」。自分と向き合いながら本作りをする少人数の塾。キャッチーなタイトルにしたけれど、決して楽ではないです。そんな塾の説明会を開催します。ひとりでも多くの人がストック本を出せることを願いつつ。

90日で出版企画を通す 出版実現塾 http://www.socialcapital.co.jp/seminar/shuppanjuku/

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