「働き方」という言葉の違和感について昨日投稿したのだけど、今日は「やりたいことをやる」という表現について。やはり原稿中にでてくるこの言葉が引っかかっている。

「やりたいことをやる」って個人的にはかなりハードルの高いことだと思っている。1)やりたいことを見つけ、2)それを実行し続けること、が意味されているからだ。まずやりたいことをみつけるには、(幼少期から「これしかない!」と確信をもてている)特殊なケースを除いて、数々のトライアルアンドエラーが不可避だ(実は今までの習慣から離れて新しいことにトライするのもかなり大変)。そのなかから自分にあったものを見つけなければならない。

それは一見、なにもしなくてなんとなくその道を歩んでいる人と同じようにみえるかもしれないけれど、そういう人たちは、細部へのこだわりとか、ここぞ!というときの瞬発力は「やりたいことをやっている」人に絶対勝てないし、そんな姿勢で仕事をしている人は少しずつトップランナーに遅れをとり、やがては周回遅れとなる。そのスピートはどんどん早くなっていくように思える。

月並みな言葉だけれど、トップランナーでいるためには、自分が勝負できる土俵を、小さくてもいいから、決めることがもっとも大事だと言える。その土俵には先人はだれもいないかもしれなくて、ほかの人たちをここに引きずり出すぐらいの勢いが必要。だけど、その際のエネルギーは膨大だし、激しく不安には駆られることもあるだろう。逆に言うと、そこまでしないと、やりたいことはみつからないのかもしれないし、やりたいことをやれる環境は整わないのかもしれない。

「やる」ことの難しさは、続けることだと思う。荒波があっても「やり続ける」ことだ。1度の実行は難しくない。1度で結果がでることは少ない。どこまで信念をもって「やり続けられるか」だ。原稿から離れて勝手に思考しているがやっぱり「やりたいことをやる」は難しいと思う。どういう文脈で使うべきか迷う表現だ。

ちなみに「自分がやりたいようにやる」の意味でこの言葉を使うのは誤解を招く。「自己流でやる」ことと「やりたいことをやる」のはまったく違う。

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