Kindle Unlimitedのサービスが始まって、ネット上でも出版業界でも議論が持ち上がった。このサービスは出版界としてはいろいろな問題を含んでいて、それはそれで考える必要があるにしても、自分は個人的にこのサービスを利用したくないと直感的に思った。仕事上、それがどんなモノかを知っておく必要はあるとは思うが…。

読み放題という言葉にはまったく惹かれないのだ。読み放題になっているモノを読む時間があったら、今まで買ったけれど読みきれていない本を読みたいというのが率直な気持ち。それがなくなったら手を出してもいいかなと思うが、買ったけれど、読まれていない本は常に存在しているので、読みたい本がない、という状態は絶対にやってこない。それを差し置いて、読み放題だからという理由で手に取る理由にはまったくならないのだ。

書籍だけではないと思うけれど、お金を払うから自分のためになるように必死になるのだと思う。ただのモノは「もとをとる」という発想にはならない。せっかくお金を払ったんだから…という貧乏根性(というか、それが正常な感覚だと思う)が、血となり肉となるのだ。

買った本は、最初面白くなかったけれど、「少しでもこの本から得るものを…」と考えて少し辛抱して読んでいると不思議とそう思える箇所が見えてくることがある。借りた本だったり、もらった本だとそこまでたどり着けるかが極めて疑問だ。

読者を離脱させないために、最初をおもしろくするとか、出だしが肝心というのは文章を書くとき鉄則だけど、こういうシステムがあるとその傾向かより顕著になりそうな気がする。ただ何がおもしろいかなんてことは本当はだれにもわからない。読み手が決めることだから。

人との会食だって、おごられるよりおごったほうがより濃い時間が過ごせる。相手からいろいろ吸収しようとする気になるものだ。奢られ慣れている人とか接待されまくっている人は、ただいい気分になっているだけなんだと思う、自分の経験も踏まえてだけど。最近はそういう時間を作るために会食を増やしている。

そう考えるとタダのビジネスとか「○○放題」のサービスはいろいろな感覚を麻痺させるのだと思う。食べ放題のレストランでは、この野菜はどういう生産者がどういう思いで作ったのか、今年は豊作なのだろうか、そうでもないのだろうか、家族で農家さんやっているのかな?なんて思いを馳せることもない。ただ口の中に放り込んでいるだけだ。せめて「食べ放題なのに、ビジネスが成立しているのはなぜか」ぐらいは考えたいものだ。

なぜタダなのか?自分はそのサービスを受けることで何が得られるのか?生活の質に寄与するものなのだろうかどうか。利用する前に気持ちの質にこだわって常に探求すべきだと思う。

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