仕事は作業と判断に分かれると思っています。ボスが判断をして、部下が作業的な仕事をするのはよくあるケースですね。圧倒的な作業量をギリギリの人数で回せば、利益はでます。ボスに対して、作業する人が多ければ多いほど、経営はラクになります。単価と仕事量が一定の場合は。です。

どれだけよい判断ができるか

編集の仕事は判断と作業を分けることができません。企画立案の段階は、判断の連続で、この判断の善し悪しが、商品に大きく影響します。企画が通ったあとは少し判断の割合は減りますが、とはいえ、文章を読んでどう思うか、修正したほうがいいのか、どう変更すべきか、などは人によって違うものです。編集者が違えば出来上がる本は皆違うわけです。

作業的な部分を意識する

ただし、編集に作業がないか、というとそうではありません。だれもがやらなくてはいけないけれど、作業でできるものがあります。たとえば、赤字照合。初校で赤をいれた部分が再校で修正されているかどうかを確認する仕事はそんなに難易度が高いものではありません。自分も入社したてのころ、ひたすらこれをやらされ、先輩編集者の赤字の入れ方とか校正記号とか、印刷所への指示の仕方等を学びました。一人でやっていると、こういう部分をだれかにお願いしたくなるのですが…。ただ赤字照合のような仕事はそんなに多いものではなく、その意味で編集は判断する人と作業をする人にわけることがむずかしいかなと思うこともあります。

2人で2冊を担当する

ただ、それを解消する方法があります。2人で担当するということです。それぞれの人が判断と作業をするのです。ひとりでやるのに比べ、手間も時間もかかりますが、通常ひとりの編集者でやるプロセスを2人でやるので、アイディアも出るし、ミスも減ります。注意換気できるのもよい点です。1冊を2人でやると、非効率的ですが、2冊をふたりでやれば、意味を感じます(業界では違和感あるようですが)。自分は結構このパターンで仕事をすることが多いです。むしろ忙しいときのスケジュール調整なども2人でできるので、3冊分の仕事もそんなに無理なくできるのです。

作業的な部分に人員を割くのは…

そう考えると、自分のケースでは人を増やしても、作業的な部分を増やしてもあまり効果的でないし、作業をしている人の気持ちになると、いずれ自分しかできないことをやっていないことに対する不満もでてくるはずです。そのときにより判断的な仕事をお願いできる状況かどうか、そのあとの作業はだれがやるのか、など悩ましい問題が必ずつきまといます。

すべての社員が判断する仕事ができれば

自分の知り合いに、社員2人(社長ともうひとり)の会社なのに、4~5人分の仕事では?と思えるほど、多くの仕事をしている会社があります。それも判断的な仕事が多いように思います。それぞれの専門が違うからそれが可能なわけですが、それだけでなく、それぞれの専門領域の連携をとりながら、シナジー効果がうまれるように仕事をしている感じです。そして経理や事務的な部分は外注しています。これは理想です。ここまでできれば、人を雇う意味もある、というものです。というかここまで考えないと人は雇ってはいけないというメッセージのようにも思います。

まとめ

自分自身、安易に人を雇ってもそんなに効率はあがらずに、むしろ自分自身がなまける方向に向かうのではないかとも思います。人を雇って安い賃金で働いてもらうのは、まったく本意ではありません。それよりもやるべきことは、作業的な仕事をどれだけ減らせるか、作業的な部分はそのプロにお願いして、自分しかできない仕事にどれだけの時間をさけるか、を考えることなのです。

==【昨日の活動・所感】==================
・日比谷で人と会い、渋谷で打ち合わせをし(大遅刻w)、それから父親見舞いに行って、スタバで仕事して、目黒に寄って帰宅。
・自分がどうコミュニケーションをしているかを考えさせられる出来事に遭遇。言葉に反応ぜず、気持ちを読む。

Related Articles: