世の中、規則とかルールとか、決まり事とかに溢れています。それがないと社会生活は成り立ちません。ただ個人の生き方と社会のルールは別。個人はあくまでも自由を追求すべき、というメッセージの本(『計画と無計画のあいだ』)を読みました。

自由と暴走

ただ自由を追求すると言っても、暴走はダメ。超えては行けない一線があります。ルールで縛られた世界と、単なる暴走とも言える危険な世界。この間が自由だというのです。そしてこの幅が広ければ広いほど、感じられる自由が大きいというのです。

「社会人も動物である」とは

自分の自由を得るためには、野生の感覚を取り戻すことだと言います。社会人である前に、ひとりの人間だし、人間である前に、人は動物であるのです。動物だから危険地域に敏感にならないと生存できない、と同時に、動物だからルールの中だけでは生きられないのです。

勉強会で語っていたこと

この本の著者は、ミシマ社という出版社の社長の三島邦弘さん。2007年ごろだったと思いますが、ある出版社の勉強会で三島さんの話を聞いたことがあります。そのときの話で印象に残っているのは、「自分は日本一忙しいといわれる出版社にいまして…ノルマ、ノルマで完全に疲れてしまったんですよね」と。起業とはそこからの脱却であることを熱く語っていました。確かにその出版社の刊行点数は多いのですが、個人の編集者にかかる負担がそんなに大きいとは思いませんでした。

全員サッカーをする出版社

この本、2011年秋に単行本で出版されています。自分が会社を辞めた直後に「あっ、三島さんの本」だと思って、買いました。自分もおそらく三島さんと同じような気持ちになって会社をやめたあとです。勉強会で話をしてくれたことを思い出しました。「無計画」という言葉は出てこなかったと思いますが、ブンダン主義を打破して、全員攻撃、全員守備の全員サッカーのような出版社をやりたい、とホワイトボードにサッカーフィールドを描いて、熱く語っていた記憶が蘇りました。ただただスゴいとしか思えませんでした。

「計画と無計画のはざま」の意味

そして、最近本屋で文庫本になっていたこの本を見つけ買ってみました。今度は『計画と無計画のあいだ』というタイトルがひっかかったのです。今読んでみると、本当に三島さんのスゴさを実感します。ルールにおしつぶされそうになりながらも、頑張り続ける人もいます。そこから離れて自由を追い求める人もいます。だれが見ても、後者が求める生き方のように思いますが、そこには相当のリスクと覚悟が伴うこと、そのリスクと覚悟は野生の感覚にのっとったものであることをこの本は教えくれます。

まとめ

自由とは、計画されたことに対する自分の(ネガティブな)感情を意識しながら、危険区域も「体感」しつつ、無計画なことを楽しめることなんだと思いました。ホントにいい本です。

三島さんの新刊はこちら。

==【昨日の活動・所感】==================

・5時すぎに起きて、6時半からランチームのメンバーと皇居ラン。仲間がいないと絶対にできない練習。5周走って終了。タイムはともかく走れたことが気分いい。というか、最近、タイムを意識しないランがいいとも思い始めている。結果として記録がついてくればそれはそれでいいかな、と。

 

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