自分が「普通に就職」ではない生き方に出会ったのは、高校生のときでした。その人は、中学のときにちょっと通っていた塾の先生でした。高校生のあるときに、なぜかその人がわざわざ電話をかけてきたのです。それまで、その先生がどんな経歴なのかまったく気にしなかったのですが、電話で何度か電話で話すうちに「なんかへんだけど、おもしろい人」と思い始めてきました。

「普通に就職」していない人の存在

その人は、大学院で社会学を勉強し、大手旅行代理店に就職したものの、1年ちょっとで退職。物書きになりたいとかで、夕方、塾講師として生計を立てながら、深夜から朝にかけて、原稿を書くという生活を送っていたのです(自分が塾に通っていたときに「ようやう2冊目の著書がでる」と言っていたような記憶があります)。今考えると、それだけでもものすごい勇気だなと思うのですが、その塾の教室を自分の部屋のように使っていて、大量の原稿とか、ダーツとか灰皿とかあるし、ふつうの塾ではない雰囲気が好きでした(今だったら完全にNGでしょうね)。

物書きの人の生活に触れて

高校時代に、何度か話をするうちに、家に遊びにいくことになりました。決してきれいではない部屋でしたが、大量の本に囲まれたデスクが、妙にかっこよかったのです。「なんでこの本を読んだのですか」「この本はどんな内容でしたか」「この洋書はどこで買ったのですか」など質問攻めにしました。大学に入ってからも、その人とのおつきあいは続きました。ときに執筆のお手伝いやら書斎の本の片付けなどのバイトもさせてもらい、そのときに初めて会社で働いていない大人の仕事に、接することができたのです(大学院のときは、バイトとしてはかなり大きな仕事もさせてもらいました)。その人は、今はリタイアしていますが、著作は数十冊にのぼりました。その人の専門は、学術的な本から英語本まで幅広く、それに加えてCMプランナーのような仕事もしていると言っていた記憶があります。

大企業退社→ひとりビジネスという生き方

今、ひとりで仕事をしていると、その人のことを思い出します。高度経済成長の時代に、超安定の大企業を辞め、ひとりでビジネスをするのは相当不安だっただろうし、その決断は勇気のいることだったと思うのですが、当時の自分には、その人はその生活をとても楽しんでいるように見えました。ただ猛烈にしていて常に睡眠不足だったような記憶もありますが…。この人の出会いは大きいと、今さらながら実感します。

ひとりビジネスのしやすい時代に

当時はインターネットもパソコンも普及していない時代。ひとりでやれる仕事は限られていたし、物書きとして生活していける人はごくわずかでした。今は劇的に環境がかわり、ひとりビジネスの可能性は格段に高まっていると思います。情報量もハンパでなく増えました。ただ情報の多さでその可能性が削られている(というか、勇気が削られている)という気もします。要は自分の生き方に必要な考えや情報を探す努力がより問われているのかもしれません。

まとめ

どの時代も会社に合わない人がいて当然です。というよりも、会社で働かない人がいてこそ健全な社会です。画家や音楽家、スポーツ選手、職人、士業、個人商店などの例を挙げるまでもなく、出版業界だって装丁家やイラストレーターや校正者、オペレータなど、ひとりでビジネスしている人はたくさんいます。そういう多様な生き方を今一度見直し、どれだけ自分ごととしてイメージできるか、がひとりビジネスを始めるにあたって大事なことかなと思っています。

==【昨日の活動・所感】==================

・仕事しない日だったのに、8キロしかランニングできず…。もっとピッチ、上げないと。

・部屋片付け。環境づくりは大事。

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