編集とはどんな仕事なのだろうと、改めて考えることがあります。企画を考え、著者と打ち合わせをし、目次構成案を作り、原価計算し、企画書書いて、企画会議にかけて、承認もらって、著者に正式に原稿依頼して、原稿もらって、紙面デザインして、ゲラにして、校正して、校了して、発行するのが一般的な流れなのですが、その過程で、編集が本質的にしていることは何なのかはわかるようでわかりません。概念が幅広すぎて定義しづらいことと、分野によって必要とされる力も異なるので、一般化しにくいです。

5つの「編纂」

『知の編集工学』(松岡正剛著)によると、編集技法を64に分類しているのですが、基本的な技能は、edit(編集)ではなくcompile(編纂)と呼んでいます。以下の5つです。

1収集(collect):種類を限定して広く集める

2選択(sellect):収集された情報から必要な一部を引き出す

3分類(classify):あるフレームにもとづいて特徴を分類する

4流派(party):目的や属性に応じて大きくグルーピングする

5系統(taxonomy):分岐点を明らかにして系譜・系列・系統などを整える

個々の情報を以上のように「編纂」してから、その情報をつなげるために、編集があるというのです。その数64です。詳しくは同書に譲りますが、個々に内在する定義づけが編纂、個々の情報がもつ意味や含意や流れをつなげるのが編集と定義されています。そして編集の本質を次のように語っています。

編集が「切った貼った」だけではなく、「ウの目・タカの目」であり、「遠目近目」であり、「濃い薄い」や「かわるがわる」であることも知っておく必要がある。編集行為の本質が「寄せては返す」であって、「行ったり来たり」や「かえすがえす」でもあり、また「表裏一体」や「和光同塵」でもあるということは、いくら強調しても強調しすぎることはない。

 

編集は収集から始まる

編集は編纂の第一段階:収集から始まることが明確になっています。収集できるためには、言語化されていなければならないのですが、この言語化が最近難しいなと思っているところでもあります。ただ、どれだけ収集できるかが、おおきなポイントとなることは間違いありません。

自分自身の編集とは

最近は、「自分自身の編集」などということも考えるのですが、それが難しいのは、言語化できている部分とできていない部分があるからです。そして言語化されていても、それを認識しているかどうかは別の問題です。人間が考えていること、感じることは常に変化します。それを記録しておかないと変化すらも認識できないのです。つまり言語化されていて、それが認識されている必要があります。認識されるためには、記録・保存が必要です。編集者は著者自身が言語化できていない部分に光をあてることが仕事とも言えますが、自分自身の編集も他者の存在が不可欠なのではないかと思っています。

まとめ

編集の力の棚卸しをしています。編集者として今までやってきたことを、先の分類にしたがって振り返るのですが、これはすなわち自分自身の編集(編纂)でもあります。編集は他との関係を考察することでもあります。自分と人だけでなく、モノやコトについても関わりを考えるきっかけになっています。

==【昨日の活動】==================

・初めての出版社で打ち合わせ。思いを共有できる人でうれしい。これからの展開も楽しみ。

・審判の判断は一瞬。一瞬で正確な判断をしなければならない。自分の仕事もこんなスピード感で判断すべき。時間をかければいい判断ができるとは限らないし、物事の進行が妨げられる。進行がうまくいかないと、関係者に迷惑がかかる、モティベーションもさがる。ここまで考えないといけない。

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