自分が出版の世界を目指したのは、大学院時代のバイトの経験からでした。当時、学問の世界の奥深さに圧倒され、自分のやっていることは前進しているのか、後退しているのかわからなくなっていました(今考えると、勉強不足のなにものでもないのですが…)。その一方で、個人の編集事務所でバイトをしていたのですが、「編集の仕事は完成物が目に見えるので、やりがいがあるな…」などと勝手なことを感じていた記憶があります。まったくいいかげんな気持ちです…。

編集の仕事はモノづくりの仕事

それ以来、大半の時間を会社員としてモノ作りに携わってきていたのですが、あまり慣れてくるとモノ作りの感覚、モノ作りの楽しさを感じなくなってきます。仕事を仕事としてやっていたのでしょう。そして管理職になると、そのモノ作りもしなくなります。会議の量が増えて、現場に対しては、経験が長いだけで、あるいは年齢が上になるだけで、「もっともらしいこと」をいい、手を動かさなくなることに違和感を覚えました。といっても自分は管理職でもかなり本を作っていましたが。

モノづくりは、手を使い、頭を使う

自分としては、一瞬のひらめきや著者との雑談から、企画のネタらしきモノが芽生え、それを打ち合わせを重ねて、コンセプト化し、企画として成立させる。さらに執筆依頼したあとも、細かい意見交換をして、原稿を仕上げてもらうプロセスが好きです。でもそのプロセスは、モノ作りだけでなく、サービス作りにも共通しているはずです。手を使い、頭を使う過程です。

モノ作りの原点を感じさせる体験

モノ作りと言えば、先日、田植えのお手伝いをさせていただく機会に恵まれました。友人が田んぼを借りたのです。田んぼの掃除をしてから、田植えをしたのですが、泥まみれになりながらの作業は、モノ作りの原点を感じさせました。これからいろいろ手を加えて、秋には収穫できると思うと楽しみです。半農半IT(半分農業をやり、半分ITの仕事をする)などの生き方も生まれているようですが、モノ作りという意味では共通するところ、シナジーが生まれるところがあるのも、なんとなく理解できるような気もします。

まとめ

企画会議が入学試験の選抜のようになっている会社があると聞きます。通すことよりも、落とすことが目的になっているというのです。もちろん選抜基準はゆるくしたほうがいいわけではありませんが、企画が成立しないと商品ができないのも事実です。「どうしたらいい企画になるか」。企画の立案する人と企画を判断する人の気持ちが一致しないと、いい企画は成立しないはずです。自分自身、モノ作りの意味や自分がそこに携わっている意味を再度確認しながら、仕事をしたいと思います。

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