出版が主体的であることについて考えてみる。主体的とはよい意味で使われることが多い。「あなたは主体的だね」といわれて、気分を悪くする人はそうはいないので、「あなたの本は主体的だね」と言われたいと思う著者がいても不思議ではない(と勝手に想像してみる)。聞いたことはないが。それはどんな出版なのか。

主体的は多義的なので、その反対語の対比によって考えてみることにする。『7つの習慣』によると、主体的の反対は反応的だ。反応的とは、「周りの物理的な環境に影響を受ける」ことだ。となると、そういう出版は、「うれているテーマだから、本をだしたい」とか「あの人が出しているのだから、自分もだしたい」とか「前作が3万部売れたから今度は5万部売れる本を書きたい」などのことを指すような気がする。ただそのたぐいの気持ちは、他者や環境次第で変わったりする。自分をコントロールする術を他者にゆだねている。ここまで言い切らなくても、自分の本が売れないと自信がなくなったり、そのテーマへの探求を辞めてしまう人がいるのは事実。ということは、出版という外的要因に影響を受けていることになる。

他方、主体的とは「衝動を抑え、価値観に従って行動する能力こそが主体的な人の本質である…主体的な人は、深く考えて選択し、自分の内面にある価値観で自分をコントロールできるのである」と『7つの習慣』には書かれている。では「主体的な出版」とは何なのか。簡単に言えば、本を出したいから出す、書きたいから書くということだ。思い出すのは、かつて間接的な知り合いに、「本は出せる、金も人脈もある」と言っていた人がいて、結局、ある財団のドンを口説き、資金を援助してもらい、本当に本を出したことを目撃したことがある。編集会議も営業会議もスルーし、へんなタイトルをつけられることもなく、書きたいように書いて本をだした。やり方がいいのかどうかはさておき、これは主体的な出版の一形態であろう。というか、究極に主体的か。

著者にとって主体的な出版とは、「書きたいテーマで書けて、現時点のほとんど(あるいはすべて)を出し切った感がある」ことだと思う。自分の言いたいことの大半が表現されていると言ってもいいだろう。そういう出版のためには何が必要なのか、主体的出版が実現できた先には何が見えるのか。これらのことを考えるのが自分の仕事だと思う。

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