最近、自分がやりたい出版社のキーワードのひとつは「オーガニック」だと思ってきた。オーガニックな本、オーガニックな出版とは何なのか?自分の「オーガニック」の暫定的な定義は以下の3つ。

1)本が自然体であること、等身大であること

2)本で他者と豊かな有機的関係を育むこと

3)本を書くことが著者の血肉となること

それぞれ簡単に説明してみる。

1)著者が持っている経験や知識の中で「何を」「どういう形で」書籍の中に入れ込むかが企画の肝だ。不特定多数に訴えかけるためには、多くの人が興味を示す(と作り手が勝手に思っている)キーワードをその中に入れる必要がある。たとえば、「マッキンゼー」とか「ハーバード流」とか「東大式」とかだ。著者の経歴を見れば、その文言が入ることは自然なのだろうけれど、それが著者が言いたいことではないことが多い。もっというと、「その文言はすでに過去のことだから消してほしい」と思っている人のほうが多い気もする。クレドで有名なホテルの本を出した著者ももうあの名前を使うのはやめてほしい、と言っていたと知り合いの編集者から聞いたことがある。著者にとってすでにそういう意識になっている語で著者を売り出そうとするのはオーガニックではない。オーガニックサーチという言葉があるように、その言葉は著者が自然に使うものでなければならない。本で使っている言葉だけど、日常使わない言葉は、自然体でないし、等身大でもない。あくまでも著者が語る言葉で著者の経験を語るべきだし、その経験を語るにふさわしい言葉を編集者やライターが見つけたとしても、著者本人のしっくり感がないと使ってはいけないと思う。

2)本を書くと多くの人に注目されて認知される。著者になってうれしい瞬間だと思う。しかし、多くの人が寄ってくるけれど、そういう人たちとの関係が一時的に終わることも多々ある。豊かな人間関係が築けるときとそうでないときの違いはなんだろうか。それは著者の自書に対する納得度が大きいと思っている。その納得度は、自分が書きたい内容が書けたかどうかということではなくて、書くべき内容をどれだけ議論できたかどうかに決まるのではないかと思う。もっと言うと、議論の末「こんなことを書くこととは思っても見なかったけれど、それいいね」という気持ちになってもらうことが自分の役割だ(だから自分のクライアントには執筆のサポートをかなり手厚くしている)。よく著者とお会いして、「3年前に○○という本、出版されていますよね」と言うと、「あ〜、そんなのありましたね」と他人事のように語る人がいるが、なんでそういう気持ちになってしまったのだろうと知りたくなる。豊かな人間関係は、その人の本質を本音で語るときだろうと思うし、その本音は、なぜその仕事をしているのか、とか、どんな気持ちで仕事をしているか、などの答えにあるような気がする。仕事のやり方を聞いても本質は導き出せない。「本を媒介にして豊かな人間関係を」というのは、著者の哲学や信念や理念を盛り込むということなのだろうと思う。

3)本で自身の本質を表現すると、いい意味でも悪い意味でも強烈なフィードバックをもらう確率が高い。ときとして完全に無視されたり、批判に晒されたりすることもあるかもしれない。あるいは濃密なファンを作ることにも繋がる。自分の過去を語ったりビジネスの手の内を語ることに二の足を踏む人が多いと思うが、それを外に出すことは、自分にとってファンになるかそうでないかの踏み絵のような分岐点を作っていることなのかもしれないと思う。そして、その人が付き合うべき人とそうでない人をはっきり分けるということだと思えば、それを知ることほど大事なことはないと思う。目の前のファンに心血を注ぐことが著者の力になり、その人たちに役に立てることが自信になる。豊かな人間関係を築く中で気づくこと多いし、大きい(その逆もしかり…)。本を書くことでこんな境地までいければ素晴らしいことだ。これこそがオーガニックなのだ。

3つにわけて書いたけれど、根幹は一緒だ。うまく語れていない感があるので、もう少しうまく言語化できるまで寝かせてみよう。でもこのキーワードははずせない。

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