夫婦や友人同士で共同のペンネームを使い、分業で小説を執筆する共作がブームーーそんな記事が昨日の朝日新聞に出ていました。
小説は共作ブーム?
ミステリー小説『女王はかえらない』(宝島社)を執筆した降田天。その正体は大学の同級生の女性ふたり。友人が書いた原稿を読んだときに「文章は上手だけど、物語の展開を変えればもっと面白くなる」と考え、以来10年間、原案と執筆の分業で30冊以上を生み出してきたといいます。
1人では出せない魅力
獄中小説『女達の審判』(日本経済新聞出版社)は夫婦による共作。原案や構成は夫に、執筆は妻にという役割分担で書き上げたとこのと。「個別のシーンをとっても、全体のトンとしても、自分1人では書かないものが生まれた」。さらにこの記事では、人気作家同士の合作なども紹介されています。こういうことをやろうとすると、言いたいことが伝わらなかったり、自分の本意でないことを指摘されたりすることも多々あるはずで、絶対に「自分がやったほうが早い」と思う瞬間があるはずです。日々、その戦いなんだと思います。まして夫婦でこんなことができるとは、自分からすれば、驚きしかありません。
共作は文学の可能性を広げる
「共作は文学の可能性を広げる。そもそも1人の作家が自己表現としてひとつの文学作品を生み出すという考え方事態、近代が生んだ幻想」という作家のコメントも紹介されています。自分は小説に対してはあまりにも理解がないので、その真意はわからないけれど、「自分の強みは他人がよく知っている」のも事実で、そこを引き出したり、弱点を作品に出さないことを考えると、共作は面白い試みだなと思いました。
より個性が求められる時代に
共作で、分業すればするほど、個性が求められます。「なんでも70点」より「ここだけはだれにもまけない」部分が必要です。そしてだれと組むか、これが決定的に大事な気がします。が、パートナーを探すというよりも、自然な流れの中でしか、生まれないのではないかという気もします。「いつのまにかふたりで書いていた」という感覚かもしれません。
最後に
分業といえば、ブックライターも分業。コンテンツホルダーに変わって書く人。ただ、ライティングの分業はイメージがわかないし、専門性が高くなると、編集者に求められる知識や感覚も大きくなると想像します。ちょっと経験してみたい気も。