当たり前のことなにの…

この間、著者と話していて思ったことなのですが、「この著者の日常は、私たちの非日常だ。だから本として成立するのだな」と、実感しました。話をすればするほど、その人の当り前と自分たちの当り前が違うのです。当の本人は、その感覚のズレは当然意識していて、自分がマイノリティだということも自覚していています。そのうえで、「当り前のことなのに、できていないことだらけ」というのです。日本の政治にしろ、学校教育にしろ、家庭内教育にしろ、就職にしろ、転職にしろ、そうだというのです(言うだけの人はたくさんいますが、その著者はそういうタイプではありません。ある分野でそれを改善すべく活動しています)。そしてその当たり前の姿を阻む仕事や業者が存在することも指摘していました。

当たり前のズレを商品に

編集者のズレをパッケージにしないといけないのだと思いました。著者の日常と読者の非日常をマッチングさせるということかもしれません。そのギャップにおもしろさを感じる人が1万人もいれば、商品として成立します。そう考えると、編集者は、著者の日常と読者の日常の両方に目配せしておかなければならないこともわかります。さらに、その著者の非日常を本にすれば、その著者だって、別の本の読者になってくれます。逆を言えば、ギャップのある商品を作って、そこに価値を見出してくれなければ、読者にはなってもらえないのです。

まとめ

今あるものが、どれぐらいのギャップを提示できているでしょうか。読者の非日常を表現できているのでしょうか。自分が作っているものを含めて考えなければならないし、自分が読者の立場になるときもこの視点を忘れないようにしたいです。

 

 

 

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