ミシマ社の三島さんの本(『失われた感覚を求めて』)を改めて読んだ。この本は何度読んでいるかかわからない。定期的に読みたくなる本だ。読み終わるといつも「失われた感覚を求めて」というタイトルはホントに絶妙だと思う。書いてある内容そのままといえば、そうなんだけど、自分だったらこういうタイトルはつけられない。なんか怖い。それこそ何かが失われているのかもしれない。

編集はある一定の技術やスキルがあると思われていて、それは間違っていないのだけど、編集感覚というものもある。それを大事にしないと、だれにでもできる仕事になるし、だれにも求められない作品になってしまうことを痛感させられる。

最近はあえてデータを見ず、読みたい本を読み、作りたいように作るようにしている。それが自分の感覚を取り戻す一番の方法だ。ただこの作業をとことんやろうとすると必ず不安に行き着く。そこでどれだけ自分を信じられるか、などだと思う。

この本はいわゆる成功者の本ではない。三島さんの模索途中の心の葛藤やゆれが描かれている。2014年の本だけど、その葛藤やゆれは今でも続いているような気もする。そのことがとっても興味がある。

圧倒的な成果を出した人の本よりもこういう本を今の自分は求めている。

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