編集者は黒子に徹するべきと思っています。そのためには、100%著者やクライアントの声に耳を傾けることは求められます。このことは結構難しくて、何が重要で、何がそうでないか、を自分流で判断してしあうことがあります。メモをするにしても、重要なことだけでよい、といった心理が働きます。その判断基準は、自分の個性とも言えますが、あまりにもそれが強いと、客観性を書きます。相手の言葉を曲解してしまう可能性が高くなります。
編集者の個性はどこまで必要か
おそらくデザイナーやイラストレーターなどもそうだと思いますが、編集者の間でもどこまで個性的であるべきかということが議論になることがあります。「よかれ」と思ったアドバイスが、著者やクライアントの個性を消すことになっていないか、自分の個性を押し付けているだけではないか、と考える必要があります。
個性を出すより大事なこと
これを突き詰めていくと「自分はいなくてもいいのではないか」と思うこともあります。ただ、こう考えることは間違っています。無理に押し付けなくても、頑張って個性を出そうとしなくても、行間には作った人の個性が宿るし、それより大事なことは、まずは相手の気持ちを100%汲み取ることが、本を書く人の可能性を広げると考えているからです。
最後に
自分の色眼鏡を意識すると、色眼鏡を取ろうとすることも可能になります。意識しないと、ゼロベースでの理解は困難になります。このことが、客観的な判断を妨げる可能性があります。自分が知っている世界は狭いからこそ、無になることが大事なかなと思います。
==【昨日の活動・所感】==================
・長野日帰り。両親別々のところに入院している。車で15分ぐらいだけど。いろいろ用事を済ませて、帰りに役所にも。寒さがハンパではない。ローカルの電車が30分に1本なのがツラい。今週末も行くかも。