最近、自分が行動する環境のなかに、とがった人が増えてきたと実感しています。ジャンルや分野はさまざまななのですが、その業界での異端児と思われている人が多いです。そういう人たちの共通点は、内的観察にすぐれていることです。基準を外的に持つのではなく、自分の基準で世界を見ています。これは意識しないと絶対できないことなのですが、それは一般常識とか世間体や慣習とかの中で生きているほうがラクだからです。

とがるとは自分がすでにもっているものを表現すること

ラクしている分、得るものも少ないわけです。既存の価値観に浸ると自分の価値の証明がしにくいからです。とがるということは人と違うことを(あえて)やる、ということではなくて、自分がすでにもっているものとか、生まれながらにしてもっているものを大事にするとことであることを最近学んでいます。この世に同じ人はいないので、自分が持っているものを表現すれば、おのずととがるはずです。ただ自分が大事にしていることを自覚していないケースが多いのです。

自分が幸せになるためにとがる

とがることは自分が快適に過ごすための方法でもあるのですが、これを追求することがシンドイので、要は流されてしまっている訳です。かつての 自分を振り返ると、猛烈にこういう反省ができてきます。経験は大事ですが、経験が増えるにしたがって、自分が生活している場のしがらみも増えてきます。常に新しい経験を求めないと、無自覚的に今あるものに染まりやすい環境になるわけです(社歴とか年次とかを大事にする会社はこういう傾向が強いですね)。

自分が世界を作り上げている自覚をもつ

フリーだから自分を表現できていて、会社員だからそれができていない、ということでは決してありません。その意識を持っていれば、独立していようが会社に所属していようが、尖った存在になれます。というより、自分を表現し続けることによって、快適な環境を自分が作り上げることができているのです。

まとめ

最近、出版のプロデュースをしていて思うことは、出版を自己開示の機会として捉えてほしいということ。今やっていることを一区切りつけるための出版とか、新しいものを始めるための出版とか、世の中に貢献するための出版とか、自分の生き様を表現するための出版とか、「本当の」自分を表現する場として考えると、出版に対する意味付けが変わってくるのだと思います。著者の強いメッセージが読者の潜在的なニーズを呼び起こすのです。

==【昨日の活動・所感】==================

・自分の世界を持っている友人とのやりとりなかで、気づきをもらって、整理してみました。

・「誘われる」と「選ばれる」について考えさせられる局面が続いています。選ばれるためには何をすれば、よいか。というよりも、どう存在すればよいか。

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