感覚的なことを身につけるときには、それは体感でしか身につかないのかもしれないと思いつつも、最近、言語化の方法が気になっています。でも自分の体感を言語化してみても、残念なことに、まったく伝わっていないことがわかりました。

言葉では伝わらないこと

先日、長年お世話になっている指圧の先生のところに行って、この質問をぶつけてみました。その先生は中学のときから太極拳していて、今でも稽古しているようです。自分がランニングをしていることを知っているので、いろいろ教えてくれますが、最後にはやっぱり「言葉ではなかなか伝わらないのです」と言うことが多々あります。

感覚は独自の世界

そんな先生の回答は、「言語化されたものはある一定レベルの人しかわからない。それ以外の人が受け取ると、誤解する可能性さえある」と言っていました。「そもそも口伝は、師匠から弟子に向かって使われる言葉であり、その関係がないところでは一切役にたたないもの」らしいのです。さらに「感覚は独自の世界なので、それをつかんだ人は本質を見いだせる」とも。なかなか奥が深い話です。

感覚が本質に表れる

師範と言われる人だって、職人と言われる人だって、その感覚をつかんだからこそ、本物になったとも言えるわけです。経営はアート&サイエンスだと言った人がいたような気がしますが、もしそうだとすると、経営も感覚的な要素が含まれていて、そこがもしかしたら本質的なことかもしれないです。確かに、すぐれた経営者ほど、直感とか感覚を大事にするような気がします。

まとめ

「本質的とは、それがなくなったら、ほかのものになってしまうもの」のこと。自分の本質はなにかを考えるときに、言葉にならないところにその一端が表れるのかもしれません。編集者としては、言語化することに対してできるだけ粘りたいと思うものの、言葉にできない世界にもっともっと触れたいと思うようになっています。

==【昨日の活動・所感】==================

・心が踊らないものは、不本意な結果に終わっても、何とも思わない。そんなことをやっている暇はない。

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