定期的に開催している『超古典ビジネス研究会』で発した言葉なのだけど、今、強く思っているのは、「ポジションをとれ」ということ。自分の明確な立ち位置を決めないと、尖った仕事ができないと思う。尖った仕事はしたくないという人はそれはそれでいいのだけど、そういう人の言動って信用されるのだろうかとも思う。尖らないと埋もれるよ、と。

ポジションをとると、共感を得られると同時に批判や非難の対象になる。自分のポジションを形にしはじめのころはそれを少なからず不安に思ってふつうは躊躇するのだけど、それもある一定の山を超えると、どうでもよくなる(らしい)。らしい、と書いたのは、このあたりの感覚は半分体感できていて、半分はまだなのかな、という感じだから。

自分は先日ここに書いた2対8の法則(あえて2を先に書くけど)で思考・行動しているので、自分がやっていることに無関心な人と出会っても「それはそうだよね」ぐらいにしか思わないけれど、人がやっていることをよく知らないで批判するのはどうなんだろうかと思う。評論家になるな、と言われることと同じことなのだけど、自分だけが、高くて、安全地帯にいるかの如く発言してる人は本当におもしろくない。もっというと、あなたがいる場所は、実は超危険地帯だよ、と思うこともある、言わないけど。その意味で、人間関係を壊してまで本当のことを言ってくれる人は少ない。

こういうことを経験すると、自分が理解できないことは素直にその人のことを聞こうという気になる。聞いた結果、なんかおもしろうそうだ、自分には関心ないな、という判断の2つにわかれる。その人がとことん好きでやっていることであれば、そこで批判しようという気にはまったくなれない、自分には理解できないことがたくさんあるからおもしろい。ただ仕事だから、と仕方なくやっている人の仕事にはネガティブな感情を抱くけれど。

ポジションをとるとはどういうことか?やり方がほかが違うだけでなく、どういう思いでその仕事をしているか?ということだと思う。それを常に明確にすべきなんだと思う。よく情報発信が大事が言われるけれど、この表現はこの文脈で語られるべきことなんだとも思う。だから常に「やり方よりあり方が大事」。いいたいことはかわらない。

 

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