先日、野辺山ウルトラマラソンを走ったときに強く感じた言葉がある。
「渾身の走り」。
友人の走りを見て、この言葉が頭をよぎった。そしてその姿はめちゃくちゃカッコよかったし、人の心を動かした。あの場にいた人しか伝わらないと思うけれど。
あの大会におちゃらけて走る人はいない。出た人がみな渾身の走りをしていたのだと思う。完走やリタイヤは結果としてついてきたものだ。
渾身の走りは、近くの人をとてつもなく感動させると思った。でも渾身の走りそのものをその場にいない人に伝えることは難しい。
本作りも同じだと思った。不特定多数の人に「渾身の1冊」を読んでもらうことは難しく、身近な人しか価値をわかってもらえないのではと思うこともある。目指すべきは、渾身の1冊は不特定多数の読者にリーチすることではなく、特定少数の人が特定多数に増えることだと最近思う。
出版社がつけた自著のタイトルが「著者の意図を反映していない」「恥ずかしくてあまり言いたくない」という人は意外に多い。それこそ不特定多数にリーチするには必要不可欠なことなのだ。
渾身の1冊は著者の周囲の人間関係を豊かにするものだ。もちろん著者が気にいったタイトルにしなければならない。