最近、打ち合わせや会議で「当たり前」とか「常識」を連発する人と接することがあり、この言葉が意味するところを考えています。
打ち合わせで「それは常識ですね」と言われて、「それホントに常識なの?」と思うことがあります。そういう瞬間って楽しいです。
人の当たり前に接することが、自分の「当たり前」を疑うことになるからです。
あるいは個人の中でも「かつての当たり前」「今の当たり前」などと感じることがあるかもしれません。それは変化している証拠ですね。
ただ、「当たり前」「常識」を言い続けている人は、いろいろな当たり前や批判にさらされていないのだと思います。
しかもこの言葉は、その言葉を言う方も、聞く方も、思考を止める(あるいは鈍らせる)言葉のように聞こえます。説明や理由をつけなくても、なんとなく会話が成立してしまうからかもしれません。
実際問題として、自分の業界では当たり前でも、異業種ではまったく当たり前ではないことはたくさんあります。その逆もまたしかりです。当たり前と思い込むことによって、チャンスを
失う可能性も高いと最近、考えています。
「当たり前」はひとまず疑う、ことを当たり前にしたいと思います。