電車の中や公共の場所でのマナーの悪さが問題となるとき、「(見られている)意識が低い」と表現されることがありますね。意識が低いとはどういうことを言うのでしょうか。

逆に言うと、意識が高いと、マナーは良くなるのでしょうか。自分はそうは思いません。意識以前に認識の問題だと思うからです。

認識とは、他者と自分、空間と自分との距離感を適切に把握できる力だと考えます。だから「認識が甘い」とはそのモノやこととの距離感が十分取れていない状態なのでしょう。

この認識から意識が規定されているはずなのです。したがって意識だけでは「高い」も「低い」もない。無意識という言葉があるように意識は「ある」か「ない」かだけ(なはず)。

無意識とは、意識がないことではなく、認識はしているけれど意識されない状態なのでしょう。われわれはこの状態を(有)意識に変えなければなりません(認識していないことは、意識に上りようがないですね)。

大量の情報が頭をよぎる中で、有認識無意識を認識するためには、まず他者に触れること大事なんだと思います。同志のブログを見ていると、いくら一人で考えていても認識できないような気がしてきました。

 

そう考えると、やはり「外に出ていかないことには、変われない」という認識の問題に

ぶち当たります。

 

だから、マナーの悪い人は、自分の外に出で、他者と自分との関係を認識しないと、

改善されないということになりそうです。

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