人前で話すことを初めて経験したのは、大学3年のときの塾講師のアルバイトでした。中学2年生の7〜8人のクラスだったような記憶があります。黒板の前にたち、生徒と対面する時点で緊張し、しゃべっていることがよくわからなくなり、のどが乾き、板書も何を書いていいかわからなくなり、終わったときにはどっと疲れがでたことを思い出します。
話す仕事のデビューは塾講師
回を重ねるごとに、次第にその緊張も和らぎ、いつしか「いつもの塾講師のバイト」になっていきました。その間、次の授業ではこうしよう、こういう順番で話をしよう、この話は使える、などの思考が頭をよぎる機会が増えたことは言うまでもありません。それを次の授業で試して、また失敗して、また試して…の連続でした。
授業の質も言語化のスキルで決まる
出版社に就職してからは、そういう機会はなかったのですが、30歳ちょっとで、大学の講師をやるようになり、また人前で話す機会がやってきました。環境も学生の年齢も違うので、また新たな経験でしたが、ここで感じたことは、言語化しないと通じないということでした。予習の段階で授業で話すことを事前に考えるということは、自分の考えていることを言語化するということにほかなりません。よい授業展開は常に追求されるべきですし、教員であれば常にするべきです。その根底にあるのは、言語化するスキルだと思います。
編集の仕事は言語化のお手伝い
編集の仕事は、著者の思いを言語化する仕事とも言えます。人には、明確に意識していることと、人や環境によって触発されることがあると思います。ただ、自分も含め多くの人は、自分のことは自分が自覚している、と思っているし、そう思いたいのだと思いますが、実際はそうでないことは多いです。人と話をしていて、まったく考えていなかったアイディアが浮かんだり、もやっとしていたことを、その相手に(図らずも)言語化してもらったりすることがあります。
思考を可視化する仕事を極める
自分の仕事は、編集者として著者の言語化をお手伝いする立場であり、講師としては、自らの言語化を追求する仕事とも言えます。いずれも思考を可視化をする仕事です。自分のしていることを改めて考えると、こんなふうに定義できるのかなと思っています。そのスキルを磨きたいと思っています。
まとめ
ブログとは別に、日記を書いています。ポジティブなこと、ネガティブなこと問わず、いろんなことを書いています。これも可視化することですね。たまに昔の日記を読み返すと、当時かなり憤慨していたことでさえ今ではすっかり忘れていたり、自分の不備を都合のいいように解釈していたりすることなどが多々あり(汗)、本当に記憶のいい加減さを思い知ります。感謝の気持ちもお詫びも気持ちも可視化します!
==【昨日の活動・所感】==================
・「会社って、変わらない」と思わせる一件に遭遇。変わりたいとも思っていないとも思える。「変わらなくてよい」と思うのもすごい発想。ただラクをしたいだけではないか。