今日は成人の日。ということで、朝日新聞の社説には、「成人の日に考える」と題して、書かれています。題材はふたつあるのですがテーマは大きく言えば「就活」です。
なぜリクルートスーツを着るのか
そのうちのひとつは、就活のリクルートスーツについての違和感について書かれています。「個性を大事に」といっている、学校も企業も社会も、街にあふれるリクルートスーツをよしとしてよいのか、という問題提起です。
「リクルートスーツを着なくてよい」
その中で、秋田にある国際教養大学が、昨秋、学内の説明会で、黒のリクルートスーツは着なくてもよいと伝え、40社を超える企業から了解を得たと報じています。大学関係者曰く、「なぜ黒のスーツでなければならないかと問われた時、誰も答えられないからです」と。そして「グローバル化の時代にみんなと同じなら安心という感覚はそぐわない」とも。ふむふむ、おっしゃるとおりです。でもそれをやれる大学はかなり少数です。どの大学も自分たちの学生には不利になるようなことはさせたくない、との思いから、黙っているのが現状。それが超没個性になると知っていながらも流れに抗することはできないのでしょう。そういう意味で国際教養大学の担当者(たち)の強い思いを感じさせます。
それに対して社説は…
それに対して朝日はどう書いているかというと。
地方の大学が社会に投げ込んだ小さな一石。だが、就活、グローバル化、都市と地方など、照らし出す問題は幅広い。黒のリクルートスーツに着ずに就活にのぞむ学生は、「異物」扱いされるかもしれない。でもそれによって、新たに見えてくることがきっとあるだろう。その「異物」に触発され、後に続く学生がでてくれば、違う道が開かれる可能性もある。問いを立てる。自分なりの答えを出す。そうして社会は少しずつ動いていく。その流れが滞っているのなら、考え、動くべきはこれから社会の出て行く若者ではなく、この社会に形作ってきた「大人」の側である。
いい話だけど、違和感が大きい
文字だけ読めば、ごもっともです。そうあることをだれもが望みます。でも違和感が相当あるのです。だったら、朝日新聞は入社試験でリクルートスーツ禁止にすればよいではないですか、と自分は思うのです。「小さな」とか「地方」という言葉を使って、あたかも些細なことを強調しているようにも読めますが、それでも疑うことに意味がある、というのであれば、日本の中心にある大企業の朝日が率先してやればいいと思うのです。滞っている流れが一気に解消はずです。でもやらないでしょうね。
いい話にシラケる理由
「社説」は会社の意見です。だから社説を書いた人の名前がクレジットされることはありません。通常は経験豊富な論説委員が書いているにもかかわらずです。社の意見だったら実行すればと思うのですが、「それとこれは違う」ということなのでしょう。いい話ばかりしても、シラケる理由は、実行するつもりのないことが透けて見えるからです。
最後に
大学のカリキュラム自体が、異物になることを目指しているから、その方針に納得する企業も多いということなのでしょう。他大学がリクルートスーツを「捨てても」うまくいかないはずです。一貫性と実行してきた事実が共感を呼ぶのだと思います。
==【昨日の活動・所感】==================