久しぶりにゆっくり物事を考える時間になっています。休みだから、こういう時間をとるのではなく、日々の生活の中でこういう時間をとらないといけません。改めて時間がないことの危険性を考えてみました。

時間がないとすべて作業に

一番危険なのは、判断をせず、作業化してしまうことではないかと思っています。本当は、大きな判断、重要な判断のはずなのに、時間がないと、今までやったこと、やってきたことを基準に考え、作業にしてしまう、ということです。せっかくのチャンスをムダにしているとも言えそうです。なので、時間だけ費やして、実は何も進歩していないこともありそうです。当然質は高められません。

物事を考える力を養うには

上記とも関係することですが、物事を考える力が弱くなります。モノを作るときでも、本の企画をするときでも、限られた情報の中からベストを考えないといけません。「本は出してみないと(どう読者に受け入れられるかは)わからない」側面があるのは事実ですが、だからと言って最初からそれを思って企画すると、絶対にいいものはできません。

最短でベストな判断するため…

時間をとって自分の頭で考えることと、判断とか決断に時間をかけることとはまったく別のことです。決断するときには、極めて短い時間で、ベストと思う選択をしないといけません。むしろ、時間がない中でできるだけよい選択や判断をするために、日々ゆっくり考えることに時間をかけるべき、ということでしょう。

当たり前のことですが…

時間に対する重要性を否定する人はいません。当たり前すぎて、あえて言うこともはばかれる感じもあります。でもその理解度は人それぞれですし、時間が経つにつれて、感じ方も異なります。常に理解しようとすべきなんだと思います。そういうことも含めて、考える力ということでしょう。

まとめ

原理とか原則はどれもシンプルです。だからこそ自分にとってその原理原則がどのような意味があるのかを、立ち止まって確認する意味があるのでしょう。ビジネスでは特に、一瞬一瞬の決断が問われることが多いですが、そのためには大きくてゆっくりした思考を常に意識しておくことが必要そうです。
==【昨日の活動・所感】==================
・ニューイヤー駅伝を少し見てから、初詣に。帰ってから、今年やるべきことを書きまくり。とりあえず頭をよぎることはすべて書く。と思っても、まだまだ足りないような。自分の世界が狭いと本当にやりたいこともわからない。

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