昨日、ふと思い出したこと。
2011年12月16日(金)はかつて勤めていた会社の最終出社日だった。仕事ですっかり消耗しきって、迎えた最終日。当日、茅場町での部署の送別会も体調が悪くなり途中で帰るという始末。送別会とは名ばかりで、単なる飲み会になったとわかった瞬間、帰ることにした。その後、会社に置いてきたものを思い出し、会社に戻ったら、仲のいい友人がいて、彼らと丸の内に飲みに行って終電で帰ってきた。忘年会シーズンで満員の電車のなかで、こういう電車に乗ることはないなとなんとなく思った。
あれから3年。ようやく自分を取り戻せたかなと思います。当時はあまり整理つかなかったけれど、今はっきりわかることは、内的観察が足りなかったということです。そして組織の中で、前の仕事に追われることの恐怖を感じます。今おつきあいさせてもらっている友人・知人を見ていると、仕事をしながらも外の世界を見ているし、外を見ながら自分をあり方を考えているように思います。自分は圧倒的に足りない視点でした。

経験と実力は無関係の世界

あと危険だと思うことは、経験年数で実力を示そうとすること。「経験年数=実力」ではないという当たり前のことを、今さらながらに気づかされます。どれだけ役に立てるか、だし、どれだけ価値提供できるか、です。このときの視点は、「目の前の人に」ですね、「目の前の仕事」ではなく。今、経験年数と実力がまったく一致しない人(=つまり、若いのに、ムチャクチャでできる人)たちと接していますが、そういう人たちの存在を知ると、無意味に「今の若い者は…」という言葉はでなくなります。学生に向かってだとしても同じことです。自分も年数だけは負けない年代になってきました。実力と経験は別世界ということを肝に銘じないと、と思っています。

なぜ内的観察が大事なのか

でもこういうことって、自分かつて思っていたことです。自分が学生時代にかなり編集のアルバイトをしていたこともあり
、新卒で入ったときも「そこそこ編集できる人」だったような気がします(今、考えるとまったく間違った認識なのですが)。そして同じ部署の編集長を見ると、正直言って、「その程度の仕事か」と思ったこともあります。もちろん編集長の仕事を知れば知るほど、そんな簡単なことではないのですが、当時は見た目でそう判断していました。でも今思うことは、そういう価値観って、絶対になくならないのだなと思っています。年功序列の会社に合うはずはなかったのです。内的観察が足りないと思う瞬間です。

まとめ

自分の過去から、自分の将来を考えることを最近のテーマにしています。クライアントには、過去の経験をすべて書き出してもらうところからスタートしています(人生のネタ帳と呼んでいます)。自分自身、これをやって多くの発見があったからです。自分の生き方ではないものを書こうとしても無理があります。その方向性を確認したいと思っています。このネタ帳は書くことでも意味があると思いますが、できれば、複数の人で書いて、お互いのネタ帳を読み合い、フィードバックし合うことが大きな発見を生むはずです。
==【昨日の活動・所感】==================
・タスクマネジメントに悪戦苦闘中。やるべきことをやらないことを明確にする。そしてそれを発信・共有すること。ひとりで勝手に決めても、チームではトラブルしか生まない。

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