今年の仕事もだいたい終わりました。主体的にものを考えることの意味とか、自分が世界を作っていることを痛感した年となりました。試行錯誤もしたけれど、人生振り返ると2014年は転機だったと思うのではないかと思っています。

自分以上に可能性を見いだしてくる人の存在

いちばん大きいのは、自分の可能性を自分以上に見いだしてくれる人に出会えたこと。衝撃でした…。ありのままでよい、と言われることで救われることが多いと思うのですが、まさにそんな感じ。ただその代わり、自分を見つめることが求められます。自分自身「本当にそうなのか」「なぜそうなのか」を連発して、今まで見えてなかった価値観とかトラウマとか感情のブレなどを見ることになりました。

言語化はやはり大事だと思う

その過程で使ったのは、言語化。「なんとなく感じていること」を文字にしてみました。このプロセスがとってもキツく、文章にならないことも多々あるのですが、混乱の文章を書くことに意味がある、気づきました。出版の仕事をしているためか、まとまりがあるかどうか、とか、読みにくいのでは、とか、構成がよくないとかの視点で文章を見る癖がついていることがわかり、それを振り切る意味もあり、思いっきり混乱の文章を書き続けました。書いていて思たのは、その文章の内容はかなり尖っているのでは?ということです。ただ、それが表現できないのはなぜかを考えるのもいいトレーニングでした。

想いを伝えるには

結果、その文章を読んでもらった人には「想いが伝わっている」ことがわかりました。今まで、「読みやすく」とか「わかりやすく」とか「読み手のために」とか思っていたのは何だったのか…。人は、思いで動かされるということもわかりました。

ロジックはもちろん大事ですが…

とはいえ、ロジックは大事です。これがないと深い知識を得られないこともたたあります。ただし、ロジックは、人からだまされないものを見抜く力とか、本物と偽物を見抜く力のような気もしています。思いを少なくとも伝えるためのものではないな、と。高度な知識や深い洞察にはもちろん有効だと思うのですが。

理屈でわりきれないことにどう向き合うか?

振り返ると、もともとドイツ哲学を勉強していたためか、論理とか理性とか「理屈でわりきれる」ことが好きだったことがわかりました(その意味で英語のロジックも好きなんだと思います)。とは言え、論理的なドイツ哲学にあっても、美とか愛とかをテーマにしている人もいるのですが、そこには関心がなかったことにも気づきます。本は好きだけど、小説とか文学はほとんど読まないことも関係しているでしょう。さらに以前から知人に指摘されていたことですが、人の話しや音楽を聴いても、「絵が浮かばない」とか「景色がイメージできない」などの点も自覚できます。

まとめ

「理屈で説明できないもの」にどう向き合うか、に向き合った年とも言えるかもしれません。左脳人間からの脱却ですね(ある勉強会では「チーム左脳」に所属しています^^;)。これが結構キツいのだと思いました(というか、現在も進行中ですが)。でもここに気づいたことでいろんなことが前に進んだ気がします。来年は、この感覚をもっともっと磨きたいです。そのためには、自分の感情に素直になること、そこから自分の世界を作り上げること、相手の感情を洞察すること。そこからコミュニケーションをとること、などなど、やることはたくさんありそうです。というか年内もまだまだやることが多いですが。

==【昨日の活動・所感】==================
・人と話しをして感じることだが、会話から明らかにこのブログ読んでもらっていることがわかるのに「ブログ読んでるよ」とは言わない人がいる。いけないものを見てしまった感覚なのか。こちらとしては、当然、読まれることを前提をして書いているし、そうでないと続かないのですが。
・午前中、Skypeで打ち合わせ。午後コンサル。内容がかなり深い。まだまだ掘り下げる。

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