他人のほうが自分の可能性をよくわかっていることがあります。「あの人だったら、もっといろんなことができるのに」と思っている人も、自分のことになるとあまりよくわかっていなかったりします。
自分のことはわからなくて当然!?
自分のことがよくわからないのは、ごく自然なことかもしれません。人と会うと、新たな発想や刺激が生まれると同時に、自分の可能性もひろげてくれることがあります。このことは自分の発想・思考に基づいて行動しているはずですが、ときに(というか常に)その発想や思考がベストなのかを疑ってみなくてはなりません。
新たな可能性を感じさせてくれる人
あるいはふとした出会いが大きな可能性を感じさせてくれることもあります。考えても見なかった方向に目を向けてくれるのです。言われた本人からすれば、「そんなスゴいことを自分ができるとは思っていなかった」とか「楽しそうだけど、ホントにやれるのですかね」など驚きや疑問が残ります。でもそういう人との出会いが単純に楽しいと思えるはずです。そういう目で人と接することができれば、自ずといいコミュニケーションができそうな気がします。
その人が持っている価値観を探り当てる
ただ、そうやって心が動けば、自然と身体がうごきます。最初はモヤモヤ感があるかもしれないのですが、その可能性を考え始めると、少しずつ現実味を帯びてきます。自分は最近、コンサルタントをしている知人にその可能性を示してもらいました。ありがたいことです。大事なことは、その人が持っている価値観を探り当てて、もっと楽しいとか、もっとやりがいのあるとか、ポジティブな方向性を示してあげることだと思います。
まとめ
自分自身のことをどれだけ知っているかは、かなりあやしいと思ってきました。正しいと思っていることも進むべき道と思っていることも、もう一度疑ってかかったほうがいいとも思っています。そこがしがらみや性格や今までの経験によって見えづらくなっている可能性があるのです(経営者にコーチとかコンサルがついているのも納得します)。自分の価値観の源泉は常に、心が動くかどうか、楽しいと思えるかどうかです。そこからやるべきことを常に判断したいなと思っています。
==【昨日の活動・所感】==================
・叔父の通夜。とっても世話になった人だけに、未だ信じられず…。