昨年9月から毎日ブログを書き始めて今日で235個目のエントリーとなります。それまで何度かチャレンジしてきたのですが、長く続かず、やめて、また書き出して、やめて…の繰り返しでした。

今ではブログを書くことがほぼ習慣となり、できるだけ午前中に更新することを心がけています。私にとっては劇的な変化です。その要因をまとめてみたいと思います。

 

始めた当初はだれにも読んでもらえないもの

書き手としては、「読んでもらえる人がいると続けられるのだけどなあ…」とつい思ってしまいます。せっかく時間をかけて書いても読んでもらえる人が少ないと、やる気がなえてしまいます。

とはいえ、無数にあるブログのなかで、書き始めたばかりの他人のブログを読んでもらえることはほぼありません。友達に知らせたところで、継続的に読んでもらえるとは限りません。

 

だれにも読んでもらえなくても続けられる理由を探す

そう考えると、ブログを書き続けるための自発的な動機が必要になります。「だれも読んでもらえなくても書き続ける」ための動機です。

それは自身の思考の整理のためかもしれませんし、気づきのメモかもしれませんし、だれかに信頼してもらえるための準備段階かもしれません。自分のための動機が必要です。自分の場合、感覚的には日記に近いものがありました。私はブログとは別に、日記を書いているので、それを人の目を多少意識して書き始めたという感じでした。今は、昨日と同じ日を送らないための仕組みと考えています。

アルファブロガーと言われる人たちのなかにも、「最初は読者がいなくても、ただ楽しいから書いていた」という人が多いですよね。それがあるときにブレイクしたわけですが、それまでの期間は当人にとっては試行錯誤の連続だったと思います。それが大きな財産になっていたということなのでしょう。

 

読んでもらえた人の読後感を考える

自分だけの目的で始めたブログでも、継続してくると、少しずつ読んでいただける方が増えてきます。そういう結果はモティベーションにつながります。今度はブログを読んだ方の読後感を考えるようになりました。「この記事を読んだらどう思うかな」という意識です。

多少毒づいた記事でもそれだけで終わらず、自分の立場なり、意見なりをとりあえずまとめることで、「へー」とか「そんなんだー」という感想を持ってもらえるといいなと思っています。私は記事ごとに具体的な読者をひとり想定して書いています(英語ネタのときは、学生をイメージしていることが多いです)。

 

継続を最優先にして、質は二の次に

編集の仕事は、一度手を離したら(=校了したら)、何があっても修正はできません。校了するときには集中力と勇気が必要になります。そういう習慣がついているのか、「とりあえずまとめる」ことがなかなかできませんでした。今でもそうだと思います。でもその習慣はやめないといけないです。

ブログは、自分の行動なり思考なり気づきなりをまとめることに意味があると考えれば、そんなにがんばらないほうがいいのです。質よりも継続を意識するということでしょうか。「いつでも修正できる」ぐらいに思って書いたほうがいいと思っています。実際、自分が書いていることは突っ込みどころ満載の内容ばかりです。でもブログは、論文ではなく、出版物と日記の間に位置するメディアなのです。ある種の割り切りが必要です。

そう考えると、書くことに対する心理的ハードルは低くなります。そして1日意識を高めて時間を過ごし、書くことをメモで整理しておけば、書くための時間もそんなにかからないはずです。パソコンに向かってからネタを考えると、注意が散漫になり、続かなくなる可能性が高いです。

 

習慣化するまでは毎日書く

上記のことと関連しますが、習慣化するまでは、「毎日はきびしいので週3回とか4回にしよう」と思ってしまいますが、できれば(質はともかく)毎日書いたほうがいいと思います。

「今日は書く日だっけ?書かなくてもいい日だっけ?」と考えることが継続を止める発想だからです。数行でもいいから毎日書くのがいいのですね。ネタになりそうなことは些細なことでもメモをするようになりました。

 

まとめ

世の中には何年にもわたってブログを毎日書いている人たちがいるので、年数を考えれば、自分などはまだ始めて1週間ぐらいのところかもしれません。まだまだ習慣になっていないかもしれません。でもこの段階でこの記事を書くのは、今のブログに対する考え方を残しておきたいと思うからです。

一義的には自分のために書いていますが、現実的にはこのブログが後押ししてくれて、スムーズに話が進みそうな案件が出てきました。そういうこともちょっとだけ期待しつつ、自分の成長と変化を楽しめればよいのかなと、今は思っています。

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