キレたら終わりだなと思うことがたびたびあります。若いころは短気で、自分でも「どうにかならないかな、この性格」と思うことがよくありましたが、最近は少しマシになりました。

「言葉の源泉」や「感情の源泉」をつかむ

気をつけていることは、言葉のウラに隠された「言葉の源泉」や「感情の源泉」をつかもうとすることです。表現されていることの真意をつかもうとするのです。真意をつかもうとすると、相手が言葉足らずだったり、説明が悪くても伝わります。逆に、真意を見ようとすると「それ、ウソじゃないの?」と思うこともあります。

表現された言葉をそのまま受け取らない

いずれも言葉を額面通り受け通らないことで、見えてくることです。といっても意識的ではなく、なんとなくわかってしまうときがあります。若い頃はそんなこともわからず、「ロジックで勝負!」なとど思っていたから、怒りを感じる場面が多かったのでしょう。昨日のエントリで書いたように、ロジックだけでは人は動かないですし、そもそもロジックで語ろうとすると話が長くなりがちなので、聞いてもらえないことが多いように思います。メールもしかり、です。

自分の価値にこだわると、気にならないことが増える

言葉の源泉や感情の源泉をたどろうとすると、不思議と怒りを感じることが少なくなりました。不快なことがあっても、(ようやく?)流せるようになったし、流さないと損するのは自分だということも学びました。時間のムダでもあります。ただ、自分の信念や価値にかかわることは、やっぱりこだわりたいし、そこを深掘りしていきたいと強く思っています。だからこそ、そのほかのことには、あまり気にならなくなったのでしょう。「どうでもいいしょ」と思うことも増えました。

まとめ

10年以上前から知っている編集者は、当時、私のことを「生きにくい人」と言っていました。あちこちでぶつかっていたからでしょう。今考えても恥ずかしい限りですが、これも通るべき道だったのかなと思うことにしています。

==【昨日の活動・所感】==================

・本質をついてくれる人はありがたい。周辺だけ変えても何も変わらない。ビジネスにするのであれば、本質を変えないと。

・新たな投資をしようかなと、検討中。環境は大事だし、そこで会う人も大事。

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