「常識」は、英語でcommon senseと言い、これを日本語にすると「共通感覚」となります。

「ぼくは、○さんと共通感覚がある」と言うと、思想や考え方、発想などで分かり合えるところがあるということですね。ここで意識されているのは、私と○さんとの関係になります。

ただ、「常識」という言葉を使うと、私と社会=世の中の関係になります。それが意識されているから「常識がない」と言われるとドキッとするのでしょう。

ただ、「常識がない」と他人に言える人は、どんな資格や能力があってその言葉を使っているのでしょうか。

理屈っぽく考えれば、「あなたは、世の中すべての認識をお持ちですか」「あなたは、私と社会との関係を判断できる人ですか」と聞きたくなります。通常そんなことはできないので「常識と言われていることを疑う」ことは大事なのだと思います。

一方で「共通感覚がある/ない」というと、発話者と当事者との関係性がはっきりするような気がしますね。

常識→common sense→共通感覚。

単なる言葉の置き換えなのですが、「常識」=「共通感覚」と考えると新しい視点が見えてきます。

言葉尻を捉えて、目くじらを立てることでもないですが、「常識がある/ない」は、あまり気分のいい言葉ではないと私は感じています。

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