コンテンツビジネスはより複雑になってきているように思います。自分が持っているコンテンツをどう出すか、どう見せるかで、今後ますます大きな違いになっていきそうです。

教室で英語を教える人

たとえば、英語ができる人は、英語を教えることを仕事にしようとします。塾や予備校、英語学校、大学など、英語を教える場所はたくさんあります。よくあるパターンですが、どこで英語を教えるかで、英語講師のなかでひそかなランク付けもありそうです。

ネットで英語を教える人

一方で英語を教えたいと思って、ネットで活動する人もいます。メルマガ書いて、動画を配信し、ファンを作り、コミュニティを運営し、オリジナル教材を作り、販売し…すべてネットで展開するのです。そういうコミュニティに参加している人によると、会うのはオフ会をやるぐらいですが、たまに顔を合わせるぐらいでちょうどよいのだそうです。

どちらがいいかはそれぞれですが…

どちらがいいかは人それぞれで、その人がよいと思っていれば、それでよいのですが、前者の場合は、「どこで」教えるかが問われるので、おのずと自分のカラーは出しにくくなります。カリキュラムも指導方針もその組織が作ったものに縛られます。組織に自分の価値を依存しているともいえます。対して、後者の場合は、「だれが」が問われるので、自分がやりたいことを存分にやることができます。組織の力は借りれないので、ゼロからやるしかないのですが、尖って生きたいとか、縛られないで生きたい人には、後者のタイプが圧倒的に有利です。個人の性格によって決めるべきですが、前者タイプは後者の世界を知っているかどうかも気になります。

どちらが濃いファンを作れるか

それより考えるべきことは、これからのコンテンツビジネスは、自分のファンをどれだけ作れるかでしょう。組織が作った指導方針のうえ、数ある講師のうちのひとりであることを考えると、ファンづくりはかなり難しいともいえます。確かに教室内できちんとした価値を提供できれば、ファンは作れますが、ネット上のそれとは影響力がまるで違います。

コンテンツの出し方で職業が変わる時代

これらについてはいろいろ意見はあるとは思いますが、言いたいことは、コンテンツの出し方次第で、ビジネスや生活が激変するということです。まったく別の仕事といってもいいかもしれません。「英語を教える仕事」とひとくくりにするのではなく、自分がどういう世界で生活し、どういう人たちに影響を与えたいのかを考えると、他の可能性が大きく広がるはずです。

最後に

ちなみに、自分の知人は、後者のタイプのビジネスをしています。本人も自覚していますが、その人より英語ができる人はたくさんいますが、コンテンツの出し方をかえることで、教室で教える人とはまったく違った成果を出しています。その人の行動の仕方は半端ではないです。結果として本業でもまったくおかしくないです。ただ、自分がやったら簡単に心が折れます。絶対無理と痛感させられます。そういうことも含め、コンテンツホルダーは自分が出し方が問われる時代だなと思います。

==【昨日の活動・所感】==================
・本心はみなわかっているので、リップサービスしたところで、だれもついてこない。上司も同僚も部下も。丁寧なメールだけど、行間からだらしなさが透けて見える。
・夜久しぶりに近所の焼肉へ。友達がマスターをやっているところ。焼肉に行くのは年に2回ぐらいかも。

 

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