会議の議事録、出張報告など、「ちゃんと仕事します」「ちゃんと仕事しました」と他者に示すために書くものが日常に溢れていますね。

多くの会議は意味がないものだと思っているのに、その議事録を書くことなど私にとってはもっとも意味のないことです(今の自分にはそういう作業はなくなりましたが)。議事録を書いたところで、見る人はほとんどいないのが普通です。

出張報告もそうですね。打ち合わせで使った、喫茶店の経費の精算に、打ち合わせの内容を書かせる会社もあります。上司が安心するために書いているのですね。

いずれも「適当に書ける」モノだし、実際多くの人が適当に書いている。自分はそういう人を責める気にはなりません。そんなことに時間を費やしているほうが会社にとって損害だからです。

大学のシラバスもそうだと思っています。「今日は○○について話します」と一年前に書いたところで、その通りに進むことはありません。その場の学生の反応で、話の展開は変わるモノです。一種のライブなんだと思います。

実際、シラバスから外れた授業をしたところで、なんの文句も出ないし、授業の質が下がるとも思えません。むしろそんなモノに縛られているほうが頭を使わなくなります。シラバスは、ライブ性から逸脱して、他者に対する説明責任を満たすためのツールなのです。

こういう仕事をしているとあっという間に時間は過ぎて行きます。自分の時間は自分の仕事の質にかかわること(とそれに付随する仕事)のみに費やしたいと思っています。

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