書籍を作っているときには、どんな書籍でも厳しい局面は必ずやってくるもので、そういうときは著者と「売れるモノを作りましょう」と言って励まし合う。初版部数が思ったより少ない場合は「増刷を狙いましょう」と言う。その言葉をかけてその局面を乗り越えることはまったく間違っていないし、それどころか、そう考えないと気持ちが続かない場合がある。
ただそういう困難を乗り越え、校了し、印刷が終わって、書籍が流通に乗り、発売されると、売れるための施策がまったくとれなくなるのが出版の世界だ。広告戦略は出版社次第だし、初動がよくないとあっという間に広告対象書籍からはずれる。著者は個人が持っているSNSやブログで告知をするが、それがどれぐらい効果があるのかは編集者も著者も知ることができない。
そもそも自社の書籍がどの店舗にどれぐらい置かれているかを把握していないのが出版の世界で、本来的な意味でのマーケティングはなにもないことになる。出版社はただただ返品を恐れる。そんなの業界では当たり前のことなのだが、その当たり前が他業界からはまったく理解されないこともある。
先日会ったマーケティングの専門家に、「マーケティング不在の業界でそもそも売れることを作ろう、と思うこと自体無理があるのではないか。そんなこと、多品種少量生産の業界で普通はありえないんだよね」と言われたときに、その人を納得させる言葉がなかなか見つからなかった。業界の不合理なこととか古い慣習を語ることはいくらでもできるが、それは解決にはなかなか結びつかない。
そう考えると、出版において、売れるモノを分析して、自分たちの商品に生かす、という行為はどこまで有効なのだろうかと思う。売れる本にはそれなりの価値があって、それを学ぶことは確かに有効だけど、それが一体今、自分が作っているモノにどれだけ反映できるかは極めて疑問だ。その発想は著者を置き去りにしているような気もする。売れるモノを分析すればするほど、作り手の意識の中に売れるモノを真似したくなる気持ちが強くなると言えないこともないし、もしかしたらマネしていることも無意識かもしれない。そんなことをしていたら、結果として読者から二番煎じの商品と映る危険性はないだろうか。
マーケティングの世界はプロダクトアウトとマーケットインの両面があり、自分も今までマーケットイン的な要素を書籍の世界に入れ込むべきと思ってきたけれど、最近はどれだけその著者が自分のやっていることを自信を持って語れるかにかかっているような気もする。もちろんだれもがやっていない世界をみせないという意味で、だれにでも書籍が書けるとは思わないが、少なくとも今のように、だれにも到達できないと思われる激しい実績とか、だれでも知っている知名度を自身のプロフィールに持っている人だけが本を書く世界でもないと思う。
著者が持っているマニアックな世界をプロダクトアウトの発想で、一般に人にその魅力を伝えるような書籍を作りたいと強く思う。特定の人に読んでもらえればよいのだ。