「本を出したいと思って、企画書作ってみたので、見てもらえませんか?」という問い合わせがしばしばくる。見てもらえませんか?と言われてもどう応えたらいいかわからない。その人の背景を知らずに、その企画書がどんなものだか判断できないし、よく知った人でも、どこの誰かわからない人に提出する企画をついて、いいとか、そうでないことも言える立場でもない。

どの企画書がどの会社で通りやすいかなんて知ることは不可能だし、もっといえば、同じ出版社だって、編集者によって企画に対すは関心度はまったく違う。Aさんは興味ないけれど、同じ編集部のBさんはめちゃやる気、みたいなケースも普通にある。興味と関心がバラバラなところに本作りのおもしろさがあるともいえる。AさんとBさんが同じような本を作ったら面白くない(というよりも、どちらの編集者も著者にきちんと向き合っていない証拠かもしれない)。

「興味・関心をもつ人の顔が見えない中で、企画書を判断することはできない」と応えると、なかには、「本が出せれば、テーマはなんでもいいんです」という人もいる。著者は、もともと書きたいことがあるから、本にしたいと思っている編集者にとって「テーマなんでもいい」とか「なんでも書ける」などの発言はがっかりさせるものだ。「とにかく出版したい」という気持ちが強いのはいいけれど、そればかりが先行すると、編集者の腰は引け気味になる。しかも、そういう人に限って、出版社の知名度を気にするし、あまり本を読んでいない。本は読まない人は増えたけれど、出したい人が多くなっているという印象。

編集者を前のめりにするには、「だれが」「何を書く」のか、という2点について、ワクワクさせるしかない。編集者がワクワク(というか、企画会議で検討するのは)「著名人であること」の傾向がどんどん強くなっているけれど、そうでなくても、企画の内容はノウハウに寄せなくてはいけないし、著者自らが積極的に本を売るための施策が求められている。

こういう手間や労力をかけたくないと思えば、自分で出すしかない。自分が書きたいものへの価値観を共有する人が見つかれば、時間をかけながら、作り上げるのも大きな学びになるはずだ。練りに練った1冊の小冊子から大きなビジネスにつなげる人もいるし、共創出版プロジェクトをやるのもアリだ。本の作り方はいろいろだけど、経験や知識を文章にすることで何が得られるかをたえず検証する人と本を作るのが楽しい。今、進んでいる図解本はそういう楽しさに気づかせてくれる。本を出した事実は一過性だけど、何を書いたかというのは、永遠にだれかがどこかで見ている気がする。

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