ファスティングから少し時間が経って思うことがいろいろある。一番大きいことは頭でほしいと思っていること(=欲望)と身体が必要としていること(=必要)はまったく一致しないことだった。自分にとって必要な食事とは?を考えるいいキッカケだった。この必要と欲望の対比はいろんなことに当てはまりそうな気がする。

世の中、便利そうなもの、役に立ちそうなもの、時短できそうなもの、美味しそうなものやサービスであふれている。そのためにメーカーは研究して、開発して、製造して、マーケティングして、宣伝して、買ってもらう努力をする。これは至極全うなこと。これがないと世の中が潤わない。

ただ、そういう「便利を追い求め続ける」感覚が、個人の生活に浸透して、無意識にいいなと思って(というか、CMや口コミ、ネット記事でそう思わされ)実際買っても、結局使えなかったりするものは多かったりする。でもそれはモノやサービスに問題があると考えるより、そういう便利そうなものに手を出してそもそも生活が豊かになるだろうかということを考えるべきだし、なぜそれを欲しがっているのかを自分に問うべきなんだと思う。

ネットでモノを買うのは便利だけど、注文した当日や翌日に届くことは本当に豊かになっているのだろうか。そのサービスを実現するために、多くの人たちが働いている。たとえば、自分が書店で本を買うのと、ネットで買うのと、払う金額は変わらないのに、ネットで買ったほうが明らかに他人の労働に依存している。クリック一つで、他人をどれだけ動かしているのか。そのコストはだれが負担しているのか。便利だからといって使い続けて、そういう感覚が麻痺することもおそろしいし、欲望は際限がない。

といいつつ、こういうものやサービスができたおかげで、自分がこんな小規模でも仕事をさせてもらっているのも現実なので、大雑把に否定することはできないし、そのつもりもない。要は何が必要でなにが必要でないかをひとつひとつ自分で判断することなんだと思う。

シンプルな生活というのは、欲望と必要が一致していることだと思えてくる。本当に必要なものだけが欲しいと思えれば、余計なものは買わなくてもよいし、必要なものには、大きなお金を投下して質の高いものを手にいれる。ガマンしている感覚はない。俗にいう、「センスのいい人」はこういう生活をしている気がする。

書籍も同じかもしれない。タイトルや帯に書かれたキャッチーなコピーに煽られて買っても、内容は薄っぺらで、ランチしながら30分で読み終わるような経験を何度もしてきた。欲望に反応するとそういうことになる。では必要な本とは何なのか。読み手として思うことは、新たな解を得るためでなく、生き方のヒントを与えてくれるもの、本からの問いかけがいつも頭のどこかにあるような本ではないかと思う。読後感はスッキリしない本のほうが好きだ。文章は明確で著者の言いたいこともはっきりしているのだけど、自分事として考えるとよくわからないことが結構多い。でも生きる上でのヒントなっていると感じられる本だ。まったく個人的な感覚だけど。

作り手としては、「だれかにとって必要な本」を世に出したい。まず「だれか」を絞る必要があるし、何が必要かは人それぞれで、個人の価値観によって決まるので、なぜ書くべきかという内省と書く内容との対話が必要。とても時間がかかるけれど、そこがおもしろい。マスにとって必要な本を作ろうとすることは、目指すことではないと思っている。ファスティングはあらゆる「必要」を知る機会なのだ。

ちなみにファスティング後の食事量は、今までの7〜8割ぐらいだと思う。これでいいのか、もう少し試してみる。

Related Articles: