最近、本を読むスピードが落ちています。仕事で読む本は変わりはないのですが、自分自身あまり読む気にならなくなっています。最近のテーマが「自身の深掘り」だからかもしれません。

文字がある生活を続けていると

自分は小さい頃から読書好きでした。読書と野球が好きだった記憶があります(かなり強い少年野球チームに入っていました)。そして日記も書いていた記憶があります。小学生のころは何をやっても続かなかったのですが、日記だけは続けていたような気がします(その習慣は、定期的に途絶えたり、再開したりしていますが、今はこのブログとは別に、日記を書く期間になっています)。そして大学は哲学を選び、バイトはフリーランスの編集者やフリーランスライターのアシスタントをしたりしていました(ほかにもいろんなバイトをしましたが)。そして就職したのは出版社で、以来20年ぐらいこの仕事をしているので、文字が身近にある生活が当たり前になっています。

本を読むことは自分の足りなさを自覚すること

ただ、本を読むのは自分が足りないことを自覚する行為でもあります。よい本を読めば読むほど、その差を実感します。というよりも、その差を実感させてくれる本がよい本ということなのかもしれません。大学で哲学を勉強していたときは、「世の中、とんでもないことを考えることがいるよな」とか「同じ人間とは思えない思考回路だな」とか、「なんでこの文脈でこの言葉がでてくるのだろうか」「この本を理解できるときはやってこない」など、本を読んで絶望感を感じることしばしばでした。それはそれでとってもいい経験だったと思っています。

自分の価値観に即して足りないものを吸収する

それからだいぶ時間が経った今思うことは、自分の世界を作らねばということです。自分の価値観を明確にし、それに合うものと合わないものを厳選するということです。足りないことを埋めることを考えていたら、キリがありません。どこまでいっても、「足りないものはない」と思うときは来ないと思います。むしろ、知れば知るほど、足りないものが見えてくるはずです。だからこそ、「自分の価値観から照らして足りないものだけ」を得る必要があるのです。

自分の価値観を明確にするためには

「自分の価値観に照らす」行為は今までもしてきたつもりですが、最近思うことは、全然足りなかったということです。自分の価値観に合ったことをやっていれば、楽しいはずです。ワクワクするはずです。必ずしもそう思えないことが多かったのは、自分自身の価値観を明確にしてこなかったからだと思っています。だからこそ、今は「深掘りのとき」と思うわけです。その価値観は膨大な情報のなかから探し出すものではなく、自分の中を見つめることによって発見するということなのでしょう。そのときに重要なポイントは、「やっていて楽しいかどうか」につきると最近は思っています。もっと強い言葉でいうと、「これより楽しいものはない」という感覚でしょうか。

まとめ

この間聞いた話では「なりたいイメージを強くもちすぎると、自分の不完全さを不必要に意識することになる」ということでした。目標は持つことは大事ですが、それは目指すものではなく、イメージすべき理想を明確にするため、というのです。その人に教えていただいた「自分がすでに理想の状態に到達していることをイメージしながら、その状態を目指す」というやや矛盾した感覚のなかにヒントがありそうです。これも今の自分の深掘りのテーマのひとつになっています。

==【昨日の活動・所感】==================

・午前中加圧トレーニング。左足を加圧を増やしてもらった。週末のトレイルランはなんとか行けそうな感じ。ただ、かかとだけではなく、体調があまりよくないのが気になる。

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