自分を掘り下げる過程で大事なことは、自分だけを見るのではなく、人との摩擦の中で自覚するものではないかということを昨日学びました。自分の考えを表明しようとすると、まず相手の言いたいことを観察しなくてはいけないし、表明したときにも、抵抗や意見の違いなどを経験します。それこそが、自己を観察することなんだと思います。人への意見を通して、実は自分を観察しているのです。このプロセスは高度な意見を表明すればするほど、鍛えられます。

他者の意見に触れることで自分を見つめる

自分の観察によって、意見を固めたらまずはそれを外に出して、意見を求めることが必要なんですね。そこに寄せられる意見はとっても貴重です。否定的な意見にこそ自分が向き合うキッカケがあるのです(肯定的な意見は、自分の意見が強化される感覚です)。どんな意見でももらったほうがいいわけですが、日常の環境ではそこまで突っ込んで会話するケースは少なく、学びの意識を思った人たちとの意見交換は学べることが多いです(というか、こういう環境を求めて学習すべきと思っています)。

他者にコメントすることでも自分を見つめる

相手の意見にもコメントすることによって自己の観察が深まります。そこが複数の人たちで学ぶ意味なのです。1対1というより、1対多の状況を皆が経験することが大事ですね。大学でも、だれかが教えて、誰かが教わるという感覚に違和感を感じて、今年からある授業では、自分の考えをまとめ、相手に伝える、それに対する意見を出すことも重視しています。解答のない授業に、学生たちは戸惑っていますが、それも(それこそ?)学習だと思っています。

自分が感じたことを表明する力

そのためには、ここでは何を言っても認められると思わせることが大事。自分が感じたこと、思ったことなので、そこは否定する必要はまったくないのですが、発表するときには「なんかいいことを言わないと」のような感じになっています。その発想が「ふつうの人」を作って行くのだなと思ってもいます。自分が感じたことを表明することってなかなか難しいなと思ってもいます(大人になればなるほど、常識的なコメントが要求されると思っているからです)。それも内省のひとつです。

まとめ

最近、自ら学ぶ経験が多く、成長過程にあると実感します。そのプロセスを考えてみると、自分の意見に対して、複数のフィードバックを受ける環境なのだな、と。そしてやはり相手への意見を通して、自分を観察できる点も忘れてはならないし、むしろ後者のほうが学習効果が高いとも感じています。大学の授業でどこまでこの環境が作れるか試してみたいと思います。少人数なので結構やれそうな気もしています。

 

==【昨日の活動・所感】==================

・「気にしてもらえるうちが花」だと思う。人生は自分で切り開いて行くものだと思うけれど、人のつながりや人からの言葉で救われることも多い。耳が痛いアドバイスほど、きちんと向かい合うべき。

・長く時間がかかっていた仕事が一区切り。チームのメンバーに感謝。人に裏切られ、人に救われたプロジェクト。いろいろ学んだ。

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