毎年この時期になると思い出すこと。
5年前の夏。当時はまだ会社に勤めていて、出勤前朝メールを見たら、友人から「○○さんが亡くなった」との知らせを受けた。自分はその人のとってもとってもファンだった。友人は自分がその人のファンだということを知っていたので、教えてくれたのだ。
「ええ、どういうこと!?」。状況が飲み込めない中、そのメールを何度も何度も読み返しながら、会社に行った。会社について、席に座りすぐ人のことを検索した。死後数日たっていたのでネット上ではいろんな情報が飛び交っていた。その事実を受け入れがたくて1週間ぐらいほとんど自分の仕事していないと思う。
彼はジャズ・サックスプレイヤーだった。同い年。友人から紹介されて一緒にライブに行ったら、その友人よりも自分のほうが魅了されてしまった。それからその友人はいかなくても、ライブのスケジュールを確認しては予定をあけて通い続けた。当時月1回、戸塚のG-clefというライブハウス(今はもうない)で演奏していて、ほぼ毎回行っていたように思う。まさに追っかけだった。CDが発売されればもちろん購入。CD発売記念ライブでサインをもらうのが通例だった。
当時は有名なアーティストのライブにも結構行っていた時期だ。ウィントン・マルサリス、ジョシュア・レッドマン、ジェームス・ブラウン、メイシオパーカー、ディーディーブリッジウォーター、デイビッド・サンボーン、マーカス・ミラーなどなど。それはそれでとってもよかったけれど、超人的で、とんでもなく遠くの人の演奏を聞いている感じだった。事実、向こう側の人なんだけど。
それに対して、「追っかけの彼」は、身近で、気さくで、バンドとしての演奏はちょっと荒いけど等身大。そんな彼の演奏が自分に馴染んでいたのだと思う。通っているうちに言葉を交わすようになり、電話番号やメールアドレスも交換した。当時、自分は彼のバンド名を携帯のメールアドレスに使って、なんとなくそれは言えなかった記憶がある(結果、PCメールのアドレスを教えた)。彼の両親や妹さんもライブによく来ていた。お父様はある時新宿のPIT INNで「あいつは今ちょっと音楽の方向性に悩んでいるみたいだけど、ま、大丈夫だと思うよ」とか言っていた。
しばらくライブに行き続けていると、大物ミュージシャンよりもこの人の音楽を聞いてればもう十分と思うようになった。ホントにこの人の吹くテナーはめちゃくちゃカッコ良かった。その後ライブ活動があまりできない時期があったり、あまりよくないパフォーマンスのときもあったりしたけれど、ずっと気になる存在だった。最後に行ったのは御茶ノ水のNARUというライブハウス。土曜日出社していて、仕事が終わってそのままひとりで御茶ノ水へ歩いて行った。2010年の春頃だったと思う。
そんな彼がいなくなって5年。それから数カ月後に会社をやめられたのも彼のおかげだと思う。「そんなことやっていると、自分みたいになるよ」と言われているような気がした。
今考えると、自分は、メジャーな人よりマイナーな人に興味を示す性格なのだと思う。どんなジャンルでも華々しくデビューを飾り、活躍をしている人よりも、どことなくぎこちなく、ひっそり、マニアックな人を好む。遠くの存在より近くの人に興味を抱く。その人の歴史に好奇心が湧く。高校野球では、甲子園よりも地方予選の大会に興味抱くのも同じ(?)かもしれない。最近、本作りにもこの性格が強く現れているなと思う。すでにいる大物の本を作るよりも、身近にいる、すごい人を世に出したいと思っている。
5年たってようやく書く気なった。彼は今ごろは何をしているのだろうか。
彼のサックスはたまにとてつもなく聞きたくなる。3枚のCDは宝物。向こうでもあのテナーの音色を響かせていてほしい。