今日で450個目のエントリになります。つまり450日連続で書いているということです。ブログの考え方、向き合い方はさまざまで、「よく続いているね」という人もいれば、「暇なんですね」という人もいます。それはどうでもいいのですが、書くことについて考えてみたいと思います。

「だれ」にとって、「どれだけ」意味があるか

当然のことですが、中身がないと書けません。中身は常に探すものなので、そもそも書く気がないとネタを探せないわけです。それが面倒でありつつも、日々漫然と過ごさないようにと、鍛えられている感もあります。ただネタには質の程度があって、「だれに」とって「どれだけ」の意味があるかどうか、は日々差があるわけです。ネタが延々と思いつかず、朝書くはずが、昼になり、仕事していると、夕方になり、それでも書けず、夜になることも多々あります。

高い専門性はアウトプットがあってこそ

考えてみれば、執筆もまったく同じです。書籍の執筆とブログを書くことには大きな違いがありますが、それでも執筆の依頼したものの、なかなか進まない人の気持ちがわかるようになりました。専門性が高い人は一般的にインプットがハンパではないはずですが、「インプットをして考えて」が多すぎるとなかなか書けないのかもしれません。執筆を依頼する側としては、「あの高い専門性をわかりやすく書いてもらえれば」と思うのですが、アウトプットすることも苦手なうえに、さらに「わかりやすく」となると、心理的ハードルが余計あがるようです。その気持ちはわかりますが、せっかくの知識が世の中にでないのはもったいないなと思うこともあります。

書くことは考えること

平たく言うと、インプットだけではなくアウトプットが大事ということになるのですが、そこには書くことに対する意識とか、書くことに対する効用をはっきりさせないといけないと思っています。書くことは考えることである、という主著する人がいます。書かない思考は意味がないというのです。大胆な意見だとも思いますが、それぐらいの意識があってもいいと思っています。よく即座に判断できないときに「考えておきます」と言いますが、実際その後も「考えている」ケースは少ないです。つまり考えていない、判断を後周りにしているだけ、ということです。つい最近、白紙に問題点を書き出すと解決に向かいます。そして最終決定しないと気持ちが悪くなるということも経験したところです。

まとめ

書いて解決するだけでなく、書くスピードも高めないといけないのだと思いますが、まずは書くことで考えることから始めたいです。「考えます」はNGワードなのです。あと、このブログもここままではまずいかもと思う今日このごろです。

==【昨日の活動・所感】==================

・父親の病院に週3回ぐらい行っているが、健康はホントに大事。自分もかつて大腿骨骨折で2カ月、右ひざ靭帯損傷で2週間の入院経験があるけれど、最近はいたって健康。過信せず、無理せず規則正しい生活をしたい。

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