「理論」という言葉に対して、「実践」という言葉が使われます。実践がなくては結果がでません。ただ実践がなかなかできないので、自分も含めた多くの人が、苦しみ、悩んでいるとも言えます。当たり前のことが当たり前にできたら、ずいぶん結果が違うだろうなと思うことしばしばです。

実践に必要なものは

実践するために必要なのは、「思想」ではないかと思っています。理論を学び、それを動かすための思想、それによって実践が促されるということです。別の言い方をすれば、理論とは「あり方」の問題です。人として、社会人として、ビジネスパーソンとしてどうありたいのか、ということです。大きなテーマになるので、具体的な落とし込みには、その思想が必要になっています。

個人的な想いで圧倒する

思想とは、想いということです。会社の飲み会などで、年配の人の話が説教くさくなるのは、この想いだけを語り続けるからかもしれません。ただ、その想いを素直に感じ取れれば、「よくわらかないけど、すごそう」とか「この気迫とか気合いに負けてはいけない」などの感情になることがあります。感情的には納得しているのです。

個人的な想いを理論にする

その個人的な話をもっと説得力のあるものにするためには、理論にしないといけません。理論とは知識であり、理屈です。「自分もそこを目指す必要があるな」「その理想は自分たちにも必要」と理屈として納得させないといけないのです。論理的に納得することも大事なのです。感情的納得と論理的納得が実践を生む、ということなのだと思います。右脳と左脳の両方を刺激してはじめて行動が生まれるとも言えるかもしれません。

どちらか一方ではうまくいかない

本も同じで、想いだけ語られてもうっとうしいし、理屈だけでも息苦しいし、ということがあります。両者のバランスは本によってさまざまです。自分は、変容とか学びを促す本を好む傾向にあるので、このバランスを考えることは必須です。

まとめ

公式的にいえば、理論(感情的納得・論理的納得)⇒実践・行動ということになりそうです。理論は大事ですが、多くの人がここで武装しようとします。武器を持ちたがるのですが、武器では感情的納得は得られません。そこは書き手の心が反映されないと得られないことなのでしょう。人を動かすには、人の心を表現することが不可欠だといろいろな局面で感じる最近です。

==【昨日の活動・所感】==================

・ある仕事をすると心が乱れる。いつしかそうなってしまった。自分も環境も変化するので当然。だから同じことをするのは危険だし、同じ場所に居続けることも危険。

 

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