通常、出版はオファーがないと実現しません。ただ、出版社から声がかかる人は多くありません。出版したい人に対して、出版できる人の割合はかなり低いのも事実です。ただ、編集者に会いまくって、企画書送り続けて、ひたすらフィードバック受けて、修正して、また企画書を送るーそうやって実現する人もいます。

出版に対して積極的な意味を持てない理由

他方、編集者から声をかけられて、本を書いたものの、あまりいい思い出がない人もいます。編集者の言うとおりに本を書いたけれど、売れなかった、とか、自分が書きたいものがかけなかったとか、編集者とのコミュニケーションがうまくいかなかった、などなど、著者デビューしたものの、2冊目は書きたくない、と思っている人がいるのも事実です。最近、結構そういう人が多いような気がしています。

出版をどう意味付けるのか

この違いは、出版に対する意味付けの違いにあると思っています。つまり前者は、自分のコンテンツにある程度の実績や自信があり、それを形にしたいと思っています。もっというと、経験や知識に一区切りつけるために、出版をしたいと思っている人もいます。そうでもしないと、次には行けない、新しいことができないといった感情を持っているのです。

心理的完了で出版を目指す

こういう感覚を「心理的完了」というのだと最近学びました。何か一区切りつけたい、一段落つけたいという気持ちが素直な感覚だと思うのですが、裏(真?)の感覚としては、そうしないと、先に進めないということのようです。「今、回っているビジネスをやめて、新しいことをやるのは勇気がいるけれど、出版という形になれば次に進める」とはある会社の経営者が言っていたことです。

まとめ

たしかに、今やっていることをやめる勇気もないけれど、かといって、これをずっとやっているつもりもない、ことってあるように思います。心理的完了としての出版は本人としては前付きな意味を持ちます。出版の機会を待つのではなく、作るというのもひとつの方法かもしれないと思って、今プロデュース業をしています。「機会を作る」ことはもちろんハードルは高いです。しかしながら、だからこそ、出版に対する自問自答を繰り返す中で意味付けが明確になるし、結果として満足度の高いものになるのではないかとも思っています。そして、オファーされたから書くのとは違う意味があるのです。

 

==【昨日の活動・所感】==================

・1日中、ゲラ読み。昼すぎに、父親の見舞いに、ランニングで行ってくる。電車でもバスでも行けるけれど、ランニングが一番早いことがわかったwただ、予定していたことが消化できず、夜の予定は実行できず。

 

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