文を書いていて、断定できる場合は「である」を使い、少し断定を緩める場合は「であるに違いない」とし、可能性が下がる場合は、「かもしれない」を使うのが自然だと思っています。

文末に「思う」をつけるか、つけないか

ところが、正確に言えることは、「と思う」ことでしかないと考え、いちいち「と思う」をつけるようにしている人もいるらしいです。「である」と言い切るのは、自信たっぷりで押し付けがましいから、というのがその理由のようですが、かといっていちいち「と思う」と付け加えるのも煩わしくなり、結局「を思う」を省略して、「である」で間に合わせる場合も多いというのです。

逆接をとりあえず追加してみる

以上の例は省略ですが、あえて論理に不要なことばをあえて付加する例もあります。文章を書いていて行き詰まっときに、「しかし」ととりあえず書いてみるのです。「逆接のショック」が脳を刺激し、思考の流れを突き動かす狙いがあるとある人は言っています。逆接によって、自分をだましてみるのです。

「しかし」の魔術

ここまでの文章は、「〜らしいです」「〜というのです」「〜と言っています」など伝聞の形で書いていますが、この話は、今日の朝日新聞土曜版Beのコラム「ことばの食感」からの抜粋です。今回の文章は「しかしの魔術」とタイトルがつけられています。なかなか興味深いなと思いました。

「思う」を使うのはどんなときか

確かに自分が思ったことだから、「思う」と言う言葉をつけるときもあるし、私という一人称で書いているのだから、いちいち「(私は)〜思う」と書かなくてもいいという場合もあります。誰もが「思う」を使うときと使わないときがあるのですが、その使い分けの心理を追求するとおもしろいのではないかと感じました。

逆接の効用

さらに、逆接の効用も大きな意味がありそうです。自分の意見の対立意見をあえて議論に入れることによって、思考が深まったり、おもわぬ視点が見いだされたり、思考の死角も見えてくるかもしれません。「逆接のショック」というのですね。ブログを書いていて、展開の悩み思考停止になることは多々あっても、「しかし」ととりあえず書いてみることはしたことがありませんでした。

まとめ

「しかし」の魔術は文章を書いているときだけでなく、会議やブレストで行き詰まったときのブレークスルーなどにも使えそうです。刺激を与えるのは、順接ではなく、逆接なのですね。と考えると、反対に意見に耳を傾けることに大事なことと言えそうです。

==【昨日の活動・所感】==================

・前職の人と久しぶりに飲み。昨年、体調をくずし、2度の入院。現在、営業から内勤に変わって、リハビリ中だとか。健康は失ってから、健康のありがたみを実感する、としみじみ話していた。

・その人は金曜日の夜は、「あの人は今?シリーズ」として、しばらく会っていない人との会食の時間にあてているとか。気持ちに余裕がないとできないことであり、こういう意識は大事だ。

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