『モンテーニュ エセー抄』の冒頭に「読者に」という文章がある。この文章がなんか心打たれる。こんな気持ちで書いた文章のほうが長く読まれるのだなと。長くなるけど、そのまま引用。

読者よ、これは誠実な書物なのだ。この書物では、内輪の、プライベートな目的しか想定していないことを、あらかじめ、きみにお知らせしておきたい。きみの役に立てばいいとか、わたしの名誉になればいいといったことは、いっさい考えなかった。もっとも、わたしの力量では、そうしたくわだてなど不可能なのだが。わたしは、親族や友人たちの個人的な便宜のために、この本を捧げたのである。わたしが他界してからーーやがて彼らは、このことに直面しなくてはいけないのだがーー、この本に、わたしのありようや人となりをしのぶよすがを見いだして、わたしについての知識を、より安全で、生き生きとしたものとしてほしいのだ。

世間で評判になりたいのであれば、わたしだって、もっと技巧をこらして、きらびやかに身を飾ったにちがいない。でも、そうした気づかいや細工なしに、単純で、自然で、ごくふつうのわたしという人間を見てほしいのだ。わたしは、このわたしを描いているのだから。ここには、わたしの欠点が、ありのままに読みとれるし、至らない点や自然の姿が、社会的な礼節の許すかぎりで、あからさまに描かれている。原初の自然の法にしたがって、いまだに幸福で自由な生き方をしている人々のなかで暮していたならば、わたしがよろこんで、わが姿をまるごと、はだかのままに描いたであろうことは、きみに誓ってもいい。

つまり読者よ、わたし自身が、わたしの本の題材なのだ。こんな、たわいもないむなしい主題のために、きみの暇を使うなんて、理屈にあわないではないか。では、さらば。

先日書いた、「お客さまのニーズに応える」をもう一度考えてみるにも似たようなことを書いたけれど、だれかのために書こうとすると、どこか誠実ではなくなるような気がする。特定の人に読んでもらう本をつくる仕事は、等身大の姿を知ってもらう仕事。技巧や細工などいらない。こういう文章に出会うと、自分の進むべき方向がより明確になる。

それにしてもみすずの本の佇まいはいいなぁ。

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