今持っている知識や経験で本を書くのか、本を書くために調べるのか。書き手によってその意識が違うことを感じています。本を書くには、もちろんそれ相当の知識や経験があると思ってもらえることが必要だし、それがないと企画も成立いませんが、いざ書こうとすると自分が知っていることだけでは書けないことにぶつかります。必然的に知らないことは調べながら書くので、ある著者は本を書くことは勉強になるといいます。

書くのか?調べるのか?

別の著者は、事前に企画の段階でつめて、書けると確信しないと、書きたくないといいます。もちろん調べることも必要ですが、書きながら調べていくと、自分の身になっていないことを書いてしまっているような感覚になると言っていました。その考えは新鮮でした。自分の身についた知識は、それを表現するときには、自分の言葉になっているし、表現も自由に変えられるけれど、調べたことは、表現の多様性の中から「これだ」という表現を見つけられないのだそうです。この感覚は書いた経験のある人ならではのことで、かなり微妙なものではないかと思います。私たちでは感じ取れないことかもしれません。

なぜそこまで調べるのか

そう考えると、考え方としてですが、あまり調べることが多いのは、自分の知識や経験を語っていないわけで、なぜ調べているのか、そこまで求められているのかを考える必要があるのかもしれません。後者の必要性は大きいかもしれません。ビジネス書の場合はとくにそう思います。

最後に

もちろんどの著者も両者を使い分けていて、どちらか一方というわけではないと思いますし、上記のふたりは、ジャンルも年齢もまったく違うし、出している書籍のタイプの違うので、簡単に比較はできません。でも書くことと調べることの関係について考えさせる経験になっています。本を書くことはいろいろな向き合い方があるのだなと思いました。
==【昨日の活動・所感】==================
・地方で出版社をやっている人と会食。3年ぶりぐらいか。8時前に東京を離れるというので、始発に乗って御茶ノ水のホテルで6時から話をする。いろいろな出版の形態があるな、と。東京にいると、忙しい日々だけど、自分のペースで自分の時間を大事にしながら出版業を営んでいるのはホントにスゴイことだと思う。なぜ今、その場所でその仕事をしているのかを常に問うことかな。そこに同席していた、京都在住のイギリス人とも意気投合。

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